序にかえて



薩摩湖駅(84.02.26)


 かつて、と言ってもほんの十数年前まで、鹿児島県薩摩半島の南部を走るローカル私鉄があった。南薩鉄道線、のちの鹿児島交通南薩線である。

 昭和59年に廃止になる直前には、旧式の赤い気動車が一両きりで、伊集院町と枕崎市の間を結んで走っていた。駅の多くは無人駅で、駅舎は南国の風雨にさらされ、無残に荒れ果てていた。線路は草むし、か細いレールは赤錆びていた。板張りの床が黒光りする気動車のなかは、夏は夏で冷房どころか扇風機さえなく、開け放された窓から蝉が飛び込んできたりした。冬は冬で、乗客の姿もまばらな客室は、よけい寥々としていた。それでも気動車は孤独に山を超え、甘藷畑を横切り、松林を抜け、川を渡り、走りつづけた。声援を送るものさえないのに。

 しかしこの鉄道にも、輝かしい時代があった。本線のほか、知覧へ向かう知覧線、薩摩万世に向かう万世線を擁し、九州三大私鉄のひとつに数えられた。通勤、通学、用務、行商、旅行、さまざまな人びとが小さな座席を埋めた。枕崎の水産物、焼酎をはじめとして、沿線の農畜産物や木材、都会からは日用品、機械、そして戦争中は知覧や万世の飛行場へと軍需物資を積んだ貨車が行き来した。戦後、平和の時代となると、沿線の薩摩湖に直営の遊園地を開き、休日には家族連れでにぎわった。

 全ては夢の跡。
 いま、南薩線の跡には、いよいよ草が生い茂り、その遺構は南薩の空の下でひそやかに風化していきつつある。しかし沿線の人々の心の中では、果たしてどうなのだろうか。

 『南薩線』とは何だったのか。この場を借りて、検証していきたい。


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