2.南薩線の歴史



加世田駅(84.01.04)


南薩線歴史年表
年月日出来事
1912 (M45) 4.12首相西園寺公望から伊集院−枕崎間の鉄道敷設・営業免許交付。
1912 (M45) 7.19資本金100万円で南薩鉄道株式会社設立。初代社長は元国会議員の鮫島慶彦氏。当初、本社は鹿児島市に置かれた。
1914 (T3) 4.1伊集院−伊作間開業。
1914 (T3) 5.1伊作−加世田間開業。
開業当時の従業員は138人。車両はドイツ・ハノーバー製SL3両、中古二軸客車8両、貨車27両。伊集院−加世田間の所用時間は約1時間50分。同区間の運賃は3等で40銭(労働者の日当にほぼ匹敵)。客車は3等車3両、2・3等合造車1両の4両編成で、一日5往復した。
1916 (T5) 1本社を加世田駅構内に移転。
1916 (T5) 10.22加世田−大崎(後に万世に改称)間の万世線開業。
1916 (T5) お召し列車運転。車両・機関士ともに省線(現在のJR)が担当。
1916 (T5) 阿多、川辺、知覧3村(当時)で薩南中央鉄道株式会社設立。(1927年、阿多−川辺間、1930年、川辺−知覧間開業)
1920(T9) 11南鉄バスの前身のひとつ、南薩自動車株式会社設立。加世田、万世を拠点に営業を始める。
1927(S2)南薩鉄道、自社バス路線開設。また、この頃、機関車5両、客車20両、貨車36両。
1929(S4)ボギー客車4両が入線。
1929(S4) 12.1加世田−枕崎間の線路敷設工事が着工。
1930(S5)ガソリンカー3両が入線。
1931(S6) 3.10加世田−枕崎間開業。
1937(S12)旅客列車にスチーム暖房が入る。
1938(S13)南鉄バス、加世田−伊作−鹿児島間に一日6往復のバス路線を開設。伊作‐鹿児島間の所要約2時間。
1943(S18) 2.1戦時統合により薩南中央鉄道(阿多−知覧間)を吸収合併、知覧線と改称。
1944(S19) 5昭和24年にかけてC12型蒸気機関車3両が入線。
南薩鉄道は、沿線の知覧、万世に軍の飛行場があり、戦争中は軍需物資や兵員の輸送に追われた。昭和20年になると、上日置駅付近や伊集院駅で列車が機銃掃射を受け、犠牲者が出た。また、加世田、枕崎、阿多、知覧の各駅も爆撃を受けた。
1949(S24) 2一日2往復の国鉄乗り入れ開始。枕崎−鹿児島間に直通列車が走る。
1952(S27) 11.29岩崎与八郎氏が株式の過半を取得、南薩鉄道は岩崎産業の傘下に入る。
1952(S27) 12.11総務、経理、自動車部を鹿児島市に移転。鹿児島、加世田の二本社体制に。
1952(S27) 12.15ディーゼル動車、キハ100型6両を新製投入。
1953(S28) 2.12知覧線白川駅付近で列車火災。11人が死傷。
1953(S28) 6.14加世田駅構内で客車2両を全半焼。人的被害は無し。
1954(S29)ディーゼル動車、キハ300型3両を新製投入。枕崎線の旅客列車はほぼ無煙化。
1954(S29) 11.11キハ300型により西鹿児島直通列車を3往復に増便。
1955(S30)この頃、機関車(蒸気)9両、気動車12両、客車16両、貨車89両。年間乗客数は350万人程度。
1956(S31)薩摩湖にロープウェイ開業(後に廃止)。
1958(S33) 6.1本社機能を鹿児島本社に統合。加世田には鉄道部のみ残る。
1961(S36)日置−西鹿児島間の新線計画と伊集院−枕崎間の高速化計画を発表(後に白紙撤回)。
この計画の骨子は
西鹿児島−日置間17.5kmをほぼ直線で結び、鹿児島市街地は高架線または地下鉄線とし、枕崎−伊集院間はレールの交換、カーブの緩和等で平均時速60kmにスピードアップを図り、西鹿児島−枕崎間を最速50分、各駅停車でも1時間で結ぶ。総工費は13億円(当時)というもの。
しかし、開発銀行との融資交渉がまとまらず、白紙撤回となった。詳細は→こちら
1962(S37) 1.15万世線廃止。
1962(S37) 翌年にかけディーゼル機関車DD1200型2両を新製投入。蒸気機関車は全廃され、全列車無煙化達成。
1963(S38) 10.31国鉄指宿線、枕崎まで延伸して南薩鉄道と接続、指宿枕崎線と改称。南薩循環ルートの完成。
1964(S39) 9同じ岩崎グループの三州自動車と合併。新会社鹿児島交通発足。年間乗客数は300万人程度。
三州自動車は鹿児島県の大隅半島および離島を中心に路線を展開していたバス会社で、南薩鉄道同様、株式買占めにより1953(S28)年、岩崎グループの傘下に入っていた。
1965(S40) 6.20豪雨災害により知覧線運休。それより前、同年1月には廃止の方針が出されていた。
1965(S40) 11.15知覧線廃止。
1969(S44)伊集院−枕崎間全線廃止を発表(後に白紙撤回)。この頃、年間乗客数が200万人を割り込む。
1971(S46)貨物取り扱い廃止。途中駅のうち日置、伊作、加世田各駅以外はこれまでにすべて無人化。運用効率化のためキハ100型2両(キハ101、105)を郵便、荷物車に改造。
1980(S55)SL運行を運輸省に申請。しかし諸般の事情により実現せず。
1982(S57) 12.13伊集院−枕崎間全線廃止を発表。昭和57年度の乗客数は721,524人。
1983(S58) 6.21豪雨災害により全線不通(日置−加世田間は7月に復旧)。不通区間はバスにより代行輸送。
1984(S59) 3.17全線廃止。
1984(S59) 3.18鉄道代替バス運行開始。
1985(S60) 4レール撤去完了。直後、ほとんどの車両を解体。

なお、以下の資料を参考にしました。
湯口徹著『南の空、小さな列車』
日吉町郷土史(下巻)(1988)
吹上町郷土史(現代編)(1979)
金峰町郷土史(下巻)(1989)
鹿児島毎日新聞(昭和36年2月10日・3月3日)
南日本新聞連載『さよなら南薩線1〜10』(昭和59年3月6日〜16日)

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戦後の南薩線の輸送量の推移



鹿児島県統計年鑑より


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