1980年夏の旅


いざ南薩線へ

 熊本市内暮らしに戻って中学高校時代はこれといってローカル私鉄訪問はしなかった。というより、父が購読しているピクトリアル誌とTMS誌を見る以外は普通の中高生だったと思う。
 それよりも都会の電車にあこがれ、中学時代から福岡日帰りは当たり前、高校生になるとユースホステルを宿にして広島や関西方面の鉄道を訪問していた。
 大学に入学して最初の夏休み、高校時代から文通していた関西在住のY氏と九州旅行をすることになった。手には20日有効の九州ワイド周遊券。(この頃は周遊区間内でも急行の自由席までしか乗れなかった。)
 昭和55/1980年8月15日、帰省していた当方は、急行「阿蘇」で九州入りしてくるY氏と博多で落ち合うために一番の急行「ぎんなん」に乗車。
 予定通り博多で落ち合い急行「平戸」で筑肥線、松浦線、佐世保線、大村線、長崎本線を乗り通し長崎入り。
 デビューしたばかりの軽快電車2000形を見たり乗ったりし、しょうろう流しを見物後、普通列車「ながさき」で長崎を脱出、16日は、大宰府・福岡を観光して実家泊、17,18日は熊本市内を観光したり熊本電鉄に乗って菊池に行ったりした。
 19日朝、空模様は今ひとつ、熊本発急行「かいもん1号」に乗車し鹿児島本線のを南下を開始、いよいよ『南薩鉄道・鹿児島交通』訪問のはじまりである。
 急行「かいもん1号」は快調に南下を続けるが外ではとうとう雨が降りだしてきた。
 八代以南の単線区間に入り不知火海の景色も雨で今ひとつ。雨の影響か離合する上り列車がだんだん遅れだしそれに引きずられて乗っている列車も遅れだす。
 伊集院での接続時間はダイヤ通りでも5分しかない。この列車に間に合わないと午後に西鹿児島直行の折り返し列車になってしまう。半ばあきらめムード、外の雨がよけいむなしさを誘う。
 しかし、うまい具合に回復運転が行われ伊集院には定刻に到着。急行「かいもん」を下車するとキハ102がいきなり目に飛び込んできた。オレンジ色の車体が雨に濡れてよけい輝いて見え、エンジンのリズミカルなアイドリング音が旅情をさそう。国鉄ホームから記念すべき初撮影!さあ、待ちに待った南薩線への乗車だ。


伊集院駅にて

キハ102に揺られて

 急行「かいもん」を下車し、一番鹿児島寄りにある跨線橋を渡り改札前に停車してるキハ102に乗り込もうとしたところ、車掌氏から呼び止められた。
 車掌氏曰く「ここから先は私鉄だけど、切符は持っているか?」との意味の鹿児島弁交じりの言葉を掛けられた。
 発車時刻もせっまっている。一度改札を出て出札で切符を購入できなくもないが、車掌氏に周遊券を見せて「車内では買えませんか?」と尋ねる。
 車掌氏からは「中でも買える。」との返事。早速、キハ102に乗り込む。
 車内には4人ほどの地元の若者もいるが他は年配者がほとんど。いずこも同じローカル私鉄の風景である。
 発車時刻になり、車掌氏が手動の扉を閉めステップを引っ込める操作を行い運転士に出発のブザー合図を送るとタイフォン一声でエンジン音が高鳴りキハ102が動き出す。
 ホーム外れのダブルスリップをガタゴトと音をたてて渡り、神之川の鉄橋を渡るころにはスピードも上がってきた。2000mmと短めのホイールベースと単尺レールがあいまって結構早く感じる。
 飯牟礼峠を越えるための上り勾配を右へ左へカーブするキハ102の車体は大きく揺れるし継目を通るときの振動も車体にビリビリと伝わってくる。
 大田ずい道に入り一瞬ヒンヤリした空気が車内に入ってくる。
 そうそう切符を買わなければならない。車掌氏は通りかかったが声をかけてくれず一番先頭まで行って運転士となにやら話している。
 こっちが痺れを切らして席を立ち前まで行って車掌氏に申し出る。「加世田まで!」
 車掌氏は慣れた手つきで車内補充件にパチパチと穴をあけ運賃460円と引き換えに切符を発行してくれた。
 上日置到着、地元の若者は全員おりてしまった。急に車内が静かになりエンジンのアイドリング音が響くようになった。
 上日置駅は伊集院側に鎖錠されたポイントが草に埋もれているのが見え側線のレールも車内から確認できたが、枕崎側にポイントは確認できなかった。「交換設備廃止時に片方のポイントだけ撤去したのだろう」と勝手に思っていたがそれが間違いであることを知ったのはだいぶたってからである。
 上り列車も下り列車も同じホームを使い、交換があるときだけどちらかの列車がお客を乗せたまた一旦伊集院側に引き上げて側線に退避して離合していたそうである。
 一種のスイッチバック式の駅だったのである。
 キハ102は上日置を出発し同じような切り通しの区間を右へ左へ揺れながら走っているが今度は下っている。県道を越える鉄橋を渡ると急に視界が開け日置の集落が目に入ってきた。
 日置駅着、交換設備が生きている駅で駅員もいることがわかる。離合の列車は無く駅長とタブレットの授受をして時間になると当たり前のようにキハ102は動き出した。


伊作駅にて

加世田をめざして

 日置を出発したら変化の少ない平地を坦々と進む。
 吉利、永吉、吹上浜と無人駅に停車していく。集落が一定間隔で形成され駅も集落ごとに設置されたのか駅間の所要時分も同じくらいである。こうなってくると同じことの繰り返しみたいに感じついつい睡魔が襲ってくる。永吉駅手前の鉄橋を渡る音で眠気が吹っ飛んだが東シナ海は見ることはできなかった。いずれの駅も駅舎は残っており、以前離合できたことが分るホーム跡を車中から見ることができる駅もあった。
 吹上浜を出ると松林の中を進む。この付近は海に近いせいか線路が砂で埋まっているように見える。もちろん、砂利の道床があるはずだか、風に飛ばされてくる砂ですぐに埋まってしまうのだろう。
 薩摩湖に着く。海側にホームがあるだけの駅、砂に覆われた駅である。しかし、山側には駅名の示す湖があるのが車中からもわかる。
 薩摩湖を出ると、線路の砂もなくなり普通の線路に戻る。
 左にカーブしながらちょっとした勾配を下ると伊作の町が見えてきた。場内信号機を確認した合図のタイフォンが響き駅手前の警報機のない踏切のためにしきりにタイフォンをならしながら右に急カーブすると伊作駅に到着した。
 島式ホームの反対側にはお昼の西鹿児島行き直行のキハ302とキハ301の2両変成が一足先に到着していた。そこそこの乗客が乗っているようだ。このスジがいつも2両編成なのかどうかはこの時はわからなかったが通常は単行で多客期だけ2両編成にされるようである。乗っているキハ102の車中から撮影する。
 伊作は沿線でも大きい町に入るようで人の乗り降りも他の駅よりも多い。さらに、列車交換設備があるため有人駅であり、働いている駅員の姿を見ると鉄道が生きている事をよりいっそう感じることができる。
 駅長が上り列車と下り列車のタブレットを受渡してほとんど同時に列車は動き出した。
 右へカーブしながら暫く進むと南吹上浜、駅舎は見当たらない。
 北多夫施、南多夫施と単調な畑の中を進む。この両駅は駅舎が残っていた。綺麗にしてあるわけではないが荒らされているようでもない。それだけのんびりしているのだろうか?
 列車は、阿多に到着、知覧線の分岐駅で構内が広いのはわかるが今は無人駅、使われているホームにベンチと小さな屋根があるだけの駅である。
 駅名標で次が加世田であることを確認する。
 列車は、阿多を出発、知覧線の線路跡がわかる。乗客の降り支度が始まり、そのことからも加世田の町が近づいてくるのが感じられ、今までの畑の中を単調に走っているのとは明らかに違うムードになってきた。  万之瀬川の立派な鉄橋を渡るともう加世田の町の中である。
 列車はタイフォンをならしながら次第に減速しポイントをガダゴトと通って加世田駅のホームに停止した。
 伊集院からちょうど1時間、正午に目的地の加世田に到着した。雨はまだ止まない。


加世田駅

夏草や兵どもの夢の後

 加世田のホームは島式ホーム一面であるが、大きな上屋があり唯一吊り下げ式の駅名表示板がある。
 ほとんどの乗客が下車し、枕崎寄りの構内踏切を通って改札を出、三々五々に散っていく。
 下車客が構内踏切を渡りきると枕崎側からキユニ101が入線してきてキハ102との連結作業が始まった。
 連結器のガチャンという音で2両はつながり作業員によってエアーホース等の接続が行われエンジン音に加えて制動試験のエアー音がする。
 出発時間になりキユニ101の運転士のタイフォン合図で2両編成になった列車は枕崎に向けてに向けて発車した。しばらくすると駅は何事も無かったのように静けさが戻った。
 すぐに改札を出なかったら駅員は引っ込んでしまった。
 雨は段々小降りになってきたが濡れたくないのでホームの屋根の下から見えるだけの車両に対してシャッターを夢中で切った。現役の車両、放置されてる車両、見える限りの車両たちを。
 今までに見たことのない光景である。
 どれくらいの時間が時間がたったであろうか。雨もあがっていた。昼飯時のこともあり一度改札をでることにした。
 すでに改札にいた駅員は事務所に引っ込んでいるが我々の動きを見て出てきた。
 切符を手渡す時、「旅行の記念にもらえませんか?」と申し出ると、「待ってて」との返事で事務所にもどり「無効」のゴム印をついた切符をくれた。お礼を言って改札を出、寿屋の3階の食堂で昼食をとった。
 食事後、寿屋の屋上から駅構内や万世線の線路跡を眺めたり、駐車場脇から放置車両の撮影をしたりした。 こういった状況では、やはり芭蕉の句が頭にうかぶ。「夏草や兵どもの夢の後」
 放置されている車両が働いていた時代風景を頭の中にイメージしようとする。
 感動、興奮、陶酔とともに「もっと早くくれば良かった」との後悔の念にもかられる。無理な事であるが「もっと早く生まれていれば」とも。
 そうこうしているとキハ103のエンジンが始動し入換作業が始まり上り加世田発伊集院行きの区間列車である。
 キハ103は補修塗装があちこちされていてパッチワークみたいでお世辞にも綺麗とはいえない格好である。時間帯も良くないのか数人の乗客を乗せただけで発車していった。
 外見といい乗客数といいローカル私鉄の現状をまのあたりにする。これが現実の一面である。


加世田駅の廃車体

加世田の空気

 駅に戻ってきてこれからの予定をどうするか思案していた。
 改札の扉は開いたまま。列車が来ない時間帯は地元も人の通行に利用されているらしい。通るひとも駅員とも知合いばかりなのだろう。
 こちらも甘えてホームへ行ったり来たりしていた。
 そうこうしているうちに駅の人が荷物を積んだリヤカー牽いてホームへやってきた。
 さきほど枕崎に向けて行ったキユニが折り返し伊集院行きになるのでその列車に積み込むための荷物のようである。
 リヤカーを牽いていた駅員と一言二言話した後、思い切って構内立入許可を申し出る。
 その駅員に言われるように駅事務室に行って駅長に許可を御願いする。
 駅長は「これに書いて」と言って「構内見学許可者名簿」を出した。
 必要事項を記入し終わると許可が出て注意事項が言われた。「もうすぐ列車の時間ですから本線には十分注意してください。」
 雨上がりの構内をウロウロし放置してある車両たちをカメラに収めたり現役の車両たちを好きなアングルで撮影した。
 庫の中にも入れてもらった。
 錆び止めの塗料を塗られた機関車や台枠が保管してあった。
 車庫の人に伺うと観光用に蒸気機関車を復活させる計画があるともいう。実現したら嬉しいと思った。
 庫の外にも木造の客車が何両がいた。後でわかった事だが、NHKの番組(NHK文化シリーズ 生活の中の日本史 風雪の鉄路 ローカル私鉄史 1980年9月26日教育ch放送)のために加世田駅構内を実際に動かしたようである。
 SLを先頭に木造車を何両かつないで後ろからDLで押して走行風景を撮影したようである。
 我々が訪問したのは取材後あまりたってない時期のようである。
 列車が入線してくる時間が近づいてきた。予定ではこの時間の列車で日置までのどこかで途中下車し「走り」の撮影をする予定であったか、加世田の構内の魅力に惹かれ離れられなくなってしまった。
 上りのキハ102とキユニ101が入線し暫くして下りの西鹿児島発のキハ301と302が入線してきた。その交換風景を車庫の前から眺めていた。
 枕崎行きの列車はキハ301の単行でキハ302は加世田で開放された。輸送状況に合わせた運用であろうと想像した。
 時間は午後2時半頃、上りも下りもそこそこの乗客が乗っていた。買い物帰りの女性客や夏休みのクラブや課外授業帰りの学生のようである。
 列車の発着が終わるとまた静寂が駅に戻った。
 その後も名ばかりの救援車エ4の所まで行ったりして構内を堪能していた。
 しばらくして伊集院からキハ103が戻ってきた。何度見ても塗装がいただけない。乗客も少なめ。
なごりは尽きないがユースの夕食に間に合うギリギリの列車の時間が迫ってきた。
 駅長にお礼を言って帰り支度をする。
 出札で切符を購入する。「日置まで!」
 乗る列車は、キハ301の西鹿児島行き直行、先ほどの枕崎行きの折り返し列車である。
 下りは加世田発の枕崎行きキハ103、先ほど伊集院から着いた車両が40分ほど停車して列車番号を変えて枕崎行きになるようだ。
 我々はキハ301に揺られて日置をめざす。来る時の線路をそのまま折り返す。
 伊作では離合なし。日置で下車、ここでキユニ101とキハ102の下り列車と離合する。
 今日一日でキユニの運用がわかった。枕崎まで行く荷物は加世田で一夜明かす事になる。

 その日は日置駅近くの吹上浜ユースホステルに泊まる。
 次の日8月20日は、9時前の列車で伊集院に出て鹿児島市内観光の予定。
 やってきたのはキハ103、乗りたくないと思うとこうゆうはめになるのは世の常のようである。
 離合する下り列車はキハ303の単行である。
 昨晩同宿した仲間をそれぞれの方向に乗せ列車は動き出した。

 さて、今回の旅行では結局、加世田から枕崎の間を乗ることができなかった。
 予定では、鹿児島市内観光後、指宿のユースに泊まり、その次の日、長崎鼻観光後、昼間の指宿枕崎線の列車で枕崎に行き、枕崎駅で南薩鉄道と国鉄の並びを撮影し南薩線を全線乗車して桜島に入るつもりにしていた。
 しかし、指宿枕崎線の列車が遅れ枕崎で予定していた南薩線の列車に間に合わなくなってしまった。
 次の南薩線の列車まで待っていると桜島に入る時間がかなり遅くなってしまうので乗ってきた国鉄の列車で折り返し鹿児島へ戻ることにした。後ろ髪が惹かれるが仕方が無い。

 こうして初めての南薩線訪問の旅は終わった。


日置駅にて



1981年夏の旅へ⇒

南薩線の思い出 表紙に戻る

南薩鉄道めもりある表紙に戻る