1981年夏の旅


1981年の夏

 この年の夏休みは、バイトをしたり、初めて東京へいったりして、帰省するのがかなり遅い時期ににってしまった。
 九州旅行をする友人もおらず、毎日、熊本市内をぶらぶらしているだけで毎日が過ぎていったが、これでは、九州周遊券の元がとれなくなってしまうと思い、乗り残している加世田〜枕崎間を訪問すべく重い腰をあげたのであった。
 8月24日、午前中の熊本駅から下り特急「有明」に乗り込む。この年の4月からワイド周遊券は周遊区間内に限り特急の自由席に乗ることができるようになった。
 前年のように熊本を早い時間に出る優等列車がダイヤ改正で無くなっており、熊本を午前中に出て間に合う南薩線の列車は、お昼の西鹿児島直行の折り返しとなる枕崎行きである。
 天気も良く定刻に伊集院に到着、南薩線の列車まで時間があるので改札を出て昼食をとる。
 列車の発車時刻は13時35分、伊集院駅の出札窓口が15分ほど前に開き切符の販売をはじめた。「薩摩湖まで!」
 改札を通り、改札前のホームで列車を待っていると、西鹿児島方面からキハ301がポイントを渡って入線してくるのが見えほどなく眼の目に停車した。伊集院で下車したお客も多いが乗り込むお客もそこそこ多い。
 県庁所在地からの直行なのか結構座席が埋まっている。やはり、乗換の手間というものは都会で暮らしている者以上に面倒に感じるものなのだろうか?列車の間隔が何時間おきであっても。
 昨年見た風景と全くと言っていいほど変わらない風景をながめながら列車は賑やかなジョイント音を響かせて進む。
 日置でも交換列車はなく40分ほどで薩摩湖に到着。キハ301の発車風景を撮影して待機。
 しばらくするとキハ100形とキニ101の2両編成が上ってきた。乗降風景と発車風景を撮影する。列車が走りすぎると砂地の松林に静寂が戻った。
 ところで、「キユニ」の「ユ」のところだけオレンジ色のペンキで消してある。多分郵便輸送をやらなくなったためと思うが昨年がどうだったか思い出せない。昨年すでに「キニ」になっていたかもしれないと思ったりもした。
 さて、このあと2時間ほど上りも下りも列車は無い。休憩しようしも薩摩湖の駅にはベンチも上屋もない。夏の炎天下である。少々体力も消耗してきている。休憩するところを探すがなかなかみつからない。
 伊作までは1キロちょっとだったので歩いて移動することにした。20分ほど歩いて伊作に到着。
 伊作の駅舎を撮影したり駅のベンチでごろ寝をしたりして時間をつぶしていたが、ふと構内をを見るとバラストの色がやけに新しい。片隅に新しい枕木も積んである。鉄道を維持するための工事をしてることが感じられた。
 列車の時刻が近づき、日置までの切符を買いホームに入った。伊作の駅は、いってみればヘアピンカーブの真中にホームがある構造で上りの場内信号機がよく見える。上りのキハ100形と場内信号機を絡めた写真を撮り、到着した列車に乗り込む。下りのキニを連結した二両編成の列車と交換して発車、ガタゴト揺られて日置をめざす。
 昨年と同じユースホステルに泊まる。そこで京大鉄研のローカル私鉄めぐりをしている単独行一人と知り合った。
 次の日は彼と二人で枕崎をめざすことになった。


薩摩湖駅にて

枕崎への鉄路(みち)

 翌日(8月25日)の天気は雲が少し多いものの快晴に近い。
 ホステラーが通常利用する列車の1本前の列車に乗るため我々二人は朝食もそこそこにユースを出発し日置駅に向う。
 日置発7時41分の枕崎行きはキハ106であった。
 夏休み中であるが、課外授業やクラブに行く学生が乗っている。それらの学生も薩摩湖でかなり降りたが、そこそこの乗客が乗っている。
 伊作で上り列車と慌しく交換、上り列車も学生が乗っている。日本中で見られるローカル線の朝の風景である。  加世田で乗っていたほとんどのお客が降り入れ替わりに新しいお客が乗り込んできた。
 加世田止の上り列車が遅れたのに引きずられてこっちの発車も遅れてしまった。
 さあ、これからは未乗区間である加世田〜枕崎20.9km一閉塞は当時日本最長だったと思う。
 加世田を出発する時から運転席横のいわゆるカブリツキに二人とも陣取る。
 ほどなく初老の運転士が声をかけてくれて終点まで話が弾む。おきまりの「どこからきたのか?」から始まって沿線の案内や「交換設備が一番多かった時は30分ヘッドで運転可能だった」とか色んな話をしてくれた。
 加世田を出てほどなく加世田ずい道を通る。夏場はトンネルを通るときのヒンヤリ感はなんともいえない。
 この後ほとんどの区間は典型的な山間部を走る。
 駅は約2kmごとに設置されており一定の間隔で停車していく。
 交換設備があった頃をしのばれる駅も多い。なかでも津貫はこの区間で最後まで交換可能駅であったので線路も含めてほとんどの設備が残っているのが判った。しかし、転てつ器は一方に鎖錠されて動く事はない。
 「あそこにターンテーブルがのこっている。」と運転士がおしえてくれた。草にうもれた小さいターンテーブルが見えた。
 薩摩久木野付近で離合可能な側線が現れた。しかし、信号機の設備は無い。運転士に尋ねると工事用の車両の一時的な退避設備とのことであった。
 金山を過ぎると山の切れ目が見え始め鹿篭付近になると家の数も多くなってきた。終点まで後1駅。
 目前に白い家並みが続きだし「街」に近づいている事がわかり活気が感じられてきた。
 乗っている列車も街中に入り踏切が多いのか頻繁にタイフォンを鳴らしながら終点をめざしている。
 減速して島式ホームの右側に滑り込んで停止。結局遅れを取り戻すどころか幾分増えてしまって5分遅れぐらいになってしまった。
 お礼を言って下車すると運転士は慌しく折り返しの作業をはじめ準備が整うと車掌の合図で加世田へ向けて出発していった。ダイヤ上でも折返し時間は1分。たぶん加世田に着くまで遅れは取り戻せないだろう。


枕崎駅にて

南国の空気を感じて(1)

 走り去るキハ106を見送り改札を出て枕崎の駅を一通り見て回る。
 国鉄との共同利用駅だが鹿児島交通の持ち物であり駅名標も南薩流である。
 駅舎も天井が高く加世田よりも立派な造りであり南薩鉄道一のようである。
 終点とはいえ場末の雰囲気は全くなく活気が感じられる街の駅として引けを取らない造りだと感じた。
 記念に入場券を出札で買う。真中にキナ線の入った30円の硬券である。
 次の上り列車まで1時間10分ほどある。同行者と話し合った結果は下りの列車を駅間で走りを撮影し折り返しの上り列車せ津貫に移動することにした。
 枕崎から加世田方面に向って平行する道路を歩き出したが途中の踏切から線路内を歩く事にした。
 線路を歩いていると、付近で遊んでいた子供から「線路に入っちゃいけないぞ!」と言われた。親や学校に日頃から言われているのだろうと思った。
 鹿篭駅にきた。交換設備があった時代の両側のポイントは残っていたが鍵がかけられていて鎖錠されていた。  駅舎も残っており待合室は小奇麗にしてあった。駅務室の部分にも入る事ができたが長年使われていないので荒れていた。
 まだ下りの時間まで余裕があるので金山で上り列車に乗ることにして金山〜鹿篭間で走りを撮影すべく今度は平行する道路を歩き出した。
 国道が南薩線をオーバークロスするあたりまで来た時、タイフォンの音が聞こえ出し急いで線路沿いに近づき撮影ポイントを探す。
 やってきたのはキハ303の単行、3カットほど撮影し金山の駅をめざし国道を走り出す。枕崎を1分で折り返し来ることが脳裏を走り土地感のない不安とともに二人は走る走る。
 と、その時、川を渡っている鉄橋が目に入った。すばらしい光景である。二人は顔を見合わせていた。撮影したい気持ちとこの列車をのがすと次の上り列車まで2時間半も空いてしまうことのと究極の選択を迫られているのである。
 しかし、答はすぐに出た。「撮影するしかない!」である。
 二人は並んでカメラを構え静かに上り列車が来るのを待った。タイフォンの音が段々と大きくなり鉄橋に列車が入ってきた。ファインダーに入ったキハ303のサイドビューはほぼ鉄橋の長さと同じだった。「カシャッ」「カシャッ」と2台のカメラのシャッターがほんの僅かの間隔をあけて切られた。お互いに1カットしか撮影されなかったが思ったとおりのシーンが展開されたことに言いようのない満足感があふれた。
 しかし、当然、予定していた上り列車には乗れなかったという現実が待ち構えていた。
 とりあえず、金山の駅まで移動し休憩する事にしそれからの計画を練り直す事にした。


鉄橋を渡るキハ303

南国の空気を感じて(2)

 鉄道に平行して道路はあるがバスは走っていない。
 徒歩での移動も考えたが日差しが強くなってきており体力も消耗しだした。
 ヒッチハイクも試みたが通る車自体がすくなく、まして男二人に止まってくれるハズもない。
 時間は確実に過ぎていく。津貫駅付近を見るのをあきらめて列車で加世田まで戻る事にすることも選択肢の一つにしなければならない。
 そのうち1台のタクシーが枕崎方面から津貫方面に向ってお客を乗せて走っていった。暫くすると回送で戻ってきた。学生の身では財布に堪えるが、めったに通らないことも理解しつつあり、これを逃すと次は何時来るともわからないので津貫までタクシーで移動することにした。
 冷房の効いた車内に約10分、津貫駅前に着いた時には料金メーターは「980円」を示していた。運転手に千円札1枚渡して車外に出るとタクシーは枕崎方面に走り去ってしまった。
 津貫駅の構内をあっちこっち行って観察する。
 加世田〜枕崎間で最後まで交換設備が残っていた駅であるが設備撤去後約10年経過しているが機能を停止してるだけのように感じた。しかし、なんの保守も行われていないので時間ともに朽ち果てている機器もあり復活するには相当手をいれなければならないこともすぐに認識できた。
 運転士に教えてもらったターンテーブルのところにも行った。小さなターンテーブルである。少し力を入れて押すとギーギーと音をたてながら動いた。おもわず「動いた!」と口からでてしまった。
 ところで山間の中間駅になぜターンテーブルがあるのか?一つの疑問が出てきた。しかし、観察しているうちにとても機関車を乗せる事ができる大きさではないことを理解した。
 回りを見渡すと国道をはさんだ反対側の焼酎工場が湯気を挙げていた。
 焼酎工場に貨車を引き込むための設備という推定をした。地形的に線路をカーブさせてひきこめなかったのだろう。
 しかし、貨車をターンテーブルに乗せ方向転換したあと工場までは人力で押していったのであろうか?新たな疑問が出てきた。
 しばらくすると加世田方面からタイフォンの音が聞こえだした。枕崎行きのキハ100形とキニ101の2両編成がやってきた。
 駅付近で2カットほど撮影、列車は発車すると軽やかなジョイントを響かせながら枕崎に向って発車していった。  この列車の折り返しで加世田に向う予定である。時間的には1時間ちょっとある。体力も回復してきたようなので干河まで徒歩で移動することにし線路内を歩き始めた。20分ほどで干河駅についた。
 駅舎内で休憩していると一つの張り紙が目に入った。「軌道工事のためホームと出入り口の差が大きくなっておりますのでご注意ください。」
 昨日、伊作で見たことと同じことが全線で行われている事がわかり鉄道を存続するための意識が感じられた。  しばらくすると列車に乗るために地元の年配の女性が駅にやってきた。
 会釈をして我々と世間話をはじめた。「鉄道を廃止するよなことは聞きませんよ。」とか「年寄りにはバスより鉄道がいいです。」とか「ここ(干河)からは朝1本だけ加世田行きのバスがあります。」などの内容の話を聞かせてくれた。
 そうこうしているうちに南の方からタイフォンとジョイントの音が聞こえ出してきた。カメラを構えて2両編成の列車が入駅してくるところを撮影した。干河から乗ったのは我々2人と地元の女性の3人だけであった。
 発車するとすぐ車掌氏が回ってきて行先を尋ねた。「加世田まで」と答えると、車内補充券にパンチで穴を空けて発券してくれた。
 列車は、上内山田、内山田、上加世田と一つずつ各駅に停車して加世田に着いた。
 初めての加世田〜枕崎間の訪問、同じ線路を往復したのであるが、行きと帰りでは全く異なった行程であった。


干河−津貫

加世田再訪

 遅めの昼食を寿屋三階の食堂でとる。
 さっさと昼食を済まし駅に戻って駅長室に向い構内見学の許可を申し出る。
 昨年の訪問時に許可されているので、断られる事は無いと思いあまり緊張もしない。
 駅員に「これに書いて!」と言われ昨年と同じ構内見学者名簿に住所氏名を記入する。昨年の自分名前を見てニヤリとしたり、その時以降、ポツポツと見学者がいることもわかった。
 昨年と同じような構図で撮影をしたり車庫の中に入れてもらったりした。
 寿屋横に留置されている木造客車も昨年のままであるが、屋根が垂れ下がっていた一両は崩壊が進んでいるように感じたが、その他の留置車両は昨年と同じような状態だと感じた。
 構内での撮影を終了し駅員にお礼を言って待合室に戻った。
 同行者が事前に得ていた情報で加世田駅では南薩鉄道時代の切符がいまだに使用されていることをたしかめる事にした。
 同行者が出札の人にカクカクシカジカと話していて出てきた切符が加世田から上日置行きの切符。
 確かに「(南薩鉄道)」と書いてある。社名変更から20年近く経っても地方ではこういったものが残っているものだと感心した。
 が、切符を間近に見て頭の中はタイムスリップしてしまった。切符に記載してある内容を略記すると
(南薩鉄道)
加世田」から
      経由
2等   い
加世田駅発行 小

着駅は最下段
東阿多
花瀬
薩摩白川
田部田
薩摩川辺
東川辺
城ヶ崎
知覧
上日置

 なんと、知覧線のほとんどの駅名が記載されているではないか!!!!!
 おもわず自分も購入してしまった。他に加世田駅の入場券を購入した。枕崎駅と同じキナ線入りの券である。
 時刻は16時近くになってきたが夏の日はまだ高い。まして、16時から18時過ぎにかけて加世田発の上り列車はほぼ40分間隔で設定されており駅間で走りを撮影するのには一番効率の良い時間帯である。
 南多夫施付近で金峰山をバックに下り列車を撮影する事にし加世田16時01分発の上り列車に乗るために改めて出札で切符を買う。「南多夫施まで!」
 改札が始まるまで待合室をウロウロしていたら我々が構内で撮影している時に構外から撮影していた同年代の者がいたので声をかけた。
 「こんな切符あるよ」と言って上日置行きの切符を見せた。
 当然、彼は、ビックリした。「珍しい切符だからよかったら買っといたら」と言うと、早速、出札の方へ向った。
 戻ってきた彼曰く「日置まで行くので切符を買っていましたが、上日置までの切符に交換してもらいました。日置駅の駅員に頼んでもらいます。」
 なるほど、こういう手段もあったかと納得してしまった。こちらは途中で降りるのでその手は使えない。今回の訪問は、何かと入用である。
 改札が始まり列車に乗り込む。この列車は加世田始発である。車両はキハ106。南多夫施に向けて出発!


加世田駅にて

金峰山を背にして

 南多夫施までの二駅のあいだ、我々と加世田で知り合った同好の志とでとりとめのない話をしていた。
 日置まで行く彼と別れ、我々は南多夫施で下車、阿多方面に歩いて戻り、金峰山をバックにして撮影できる場所をさがす。
 暫くすると、我々が乗ってきた上り列車と伊作で離合したキハ100形とキニ101の2両編成がやってきた。  遮るものがない畑の中ではジョイント通過音がリズミカルに響く。
 金峰山をバックに畑の緑の中をオレンジ色の列車が通過していく光景は、たいへん気に入ってしまって列車が見えなくなるまで何枚もシャッターを切った。
 南多夫施の駅に戻り次の上り列車で伊作に移動することにした。
 やってきた上り列車は枕崎発のキハ303。伊作までの切符を車掌氏から購入する。ほどなく伊作に到着し我々は下車する。乗ってきた列車は離合する下り列車がないので時間になると駅長の合図で西鹿児島に向けて発車していった。
 約40分後の上下列車の離合風景を撮影するためしばらく駅のベンチで休憩したり伊作駅前の商店街を散策したりする。
 列車の時刻が近づいてきたので駅に戻り撮影の準備をする。改札口付近から上下列車の離合風景を撮影することにした。
 まず、加世田発の上り伊集院行きのキハ302が入ってきた。しばらくして、下りの枕崎行きのキハ106が入ってきた。
 島式ホームに上下列車が並んだ所を撮影していると、両方の列車がほぼ同時に動き出した。上り列車の方を撮影していたら下り列車はすでに遠くへ行ってしまっていた。
 伊作の駅には静寂が戻った。
 これからまた、約40分間時間を潰すことになるが、疲れもでてきたのか駅のベンチでゴロゴロしていた。
 乗る列車は伊作発18時29分の上り列車で枕崎始発である。キハ100形がやってきた。離合する下り列車はない。
 列車に乗り込んで座席に座る。日置までの約20分間、列車に揺られる。
 日置には定刻の18時50分に到着。日も傾きかけて暗くなりつつあり撮影する元気もない。
 今日一日、枕崎までの旅が終わった。
 ユースのヘルパーさんが駅まで車で迎えにきてくれていた。19時からの夕食にギリギリで間に合った。
 ヘルパーさんは、旅人ではなく我々と同年代の地元の男性であるが、鉄道にも興味を持っており、その日の晩にコレクションをもってユースに遊びに来てくれた。
 今回の南薩線訪問は一人旅であったが多くの同好の志と知り合った旅となった。
 翌日(1981年8月26日)、もう一日南薩線を撮影するという京大生と別れ、朝から熊本に返る事にした。
 日置発8時30分頃に上下の列車があり時間も良いのでホステラーの出発指定列車みたいなものである。
 今日の伊集院行きの列車はキハ302である。列車に揺られる事20分弱、伊集院に到着。改札を出ずに「日置→伊集院」の切符をコレクションする。
 国鉄のホームからキハ302を撮影していたら乗車する特急「有明」が入ってきた。485系ボンネットタイプの先頭車との並びを撮影し、ばたばたと列車に乗り込み自由席の空席を見つけ帰路についた。
 二回目の南薩線訪問での満足感にあふれ、空調の効いた車内でいつしかウトウトしはじめていた。


金峰山をバックに走る



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