1981年冬〜82年正月の旅


初訪、冬の南薩線

 夏休みが終わって関西に戻り、普段の生活になった。
 週末は、入り浸っている模型店に行き、夏休みの成果品である写真を見せびらかしたりしていた。
 その中で、金山〜鹿籠間の鉄橋を渡る写真が気に入った人がいて、ぜひ行ってみたいという社会人がでてきた。
 それに輪を掛けるように鉄道ファン1981年10月号(246)に「ローカル私鉄をたずねて−1 鹿児島交通」(副題:南国のオレンジエキスプレス)(執筆:寺田裕一)が掲載されプロの手による写真に感激して、ますます盛り上がってきた。
 今回の訪問の時期は、一緒にいく社会人2人の休みの関係で年末年始ということになり計画を進め行程を作成した。
 当方は、冬休みに入るとすぐに熊本に帰省、生まれて初めて大晦日から元旦に家を空けることの了解を親から取り付けた。(ちなみにこの年以降、7年連続して吹上浜で年を越すことになる。)
 1986年12月31日午前零時過ぎ実家を出発し熊本駅までの約4キロの道を徒歩で移動する。
 熊本駅で臨時の夜行「有明」に乗り込み南下を開始する。帰省のピーク時であるが、熊本で結構な下車客があり自由席でも一人ならすぐ座席に着くことができた。ウトウトしながら5時ごろに西鹿児島に到着、前日に鹿児島入りして泊まっている同行する2人との待ち合わせ時間の7時まで2時間ほどある。一旦改札を出るが、かなり冷え込んでいて寒い。何かの本に「南国鹿児島というのはウソである!」と書いてあったことを思い出し実感したしだいである。
 時刻表を見ていたら国分まで行って折り返してくることがわかった。駅構内でぶらついているより列車内にいるほうが格段に快適である。時間つぶしに実行することにした。
 この時期のこの時間は外はまだ闇の中である。錦江湾沿いに走るところでも窓からは何も見えない。ただただ、寒さをしのぐだけに乗っているだけである。折り返しの国分からの列車の中では、ついに寝てしまった。もっとも終着が西鹿児島駅であるから寝過ごすことはない。
 7時過ぎに西鹿児島駅に着いてすぐ同行の2人と合流した。予定より早く駅に来ていたが当方がいないので探していたそうである。ちょっと悪いことをした。
 「構内食堂」で朝食をすませ7時52分発の加世田行に乗り込むために5番ホームへ行く。この日の車両は、キハ303。聞きなれたエンジンのアイドリング音がリズミカルに周囲に響いてなぜか胸が高鳴ってくる。窓の締め切られた車内は、結構暖かく季節が冬であることを改めて感じる。夏場はかなわないエンジンの排熱もこの季節はいとおしくなる。人間とはわがままな存在である。
 発車時間になり、車掌の笛の合図、扉の閉まる音、発車オーライのブザー合図が鳴り、エンジン音が高鳴りキハ303は動き出す。
冬の南薩線訪問がはじまった。


西鹿児島駅で発車を待つキハ303

澄んだ冷気の中を

西鹿児島を出発したキハ303は、鹿児島本線を快調に飛ばす。乗務員は、運転士も車掌も南薩鉄道の職員である。あまり多くはない乗り入れの方法である。
 線路は、南薩線に比べて格段に規格が高く整備もされているのでDT―19の台車であってもほとんど揺れない。エンジンによる車体のビリビリッとした振動がよくわかる。
 車内の暖かさと整備された線路を走る気動車独特の長い周期の揺れが眠気を誘う。なんとも心地よい。
 伊集院までの間、ちょっとした峠をこえるような線形である。駅の付近を除き人家はあまり見当たらない。鹿児島地方独特の地形のなかを走る。そろそろ外も明るくなってきた。どんな景色が現れるのか期待もするがまぶたが重たい。
 そうこうしているうちに上伊集院、薩摩松元と停車して伊集院に向かう。伊集院の場内信号機手前で確認合図のベルがジリリリリ・・・となり運転士が確認ボタンを押すとキンコンキンコン・・・の鐘の音に変わった。左に分岐するポイントに入り、しばらくして見慣れた改札前のホームに到着し鐘の音が止まった。国鉄線上ではATS−S型が機能するようになっていることがわかる。
 運転士にタブレットが渡され時間通りに出発。さあ、3回目、そして初めての冬の訪問の始まりである。
 継ぎ目を通る音、車体の揺れが南薩線の音になる。しかし、夏と違って窓が閉まっており、車内に聞こえる音も夏と違って聞こえる。外の景色も青々とした緑ではなく一面の冬枯れである。タイフォンの音も通りが良いような感じがする。外の空気が澄んで冷たいからであろうか。
 日置で伊集院行きの上り列車と離合する。なんとキユニを連結した2両編成である。ダイヤ上では旅客車のみのはずだか年末で荷物が多いので臨時に運転されているのだろうと思った。
 乗っている加世田行きの列車は一駅一駅とまりながら淡々と走っている。外の景色は一面冬枯れである。風もあり雨はふらないがどんよりとした天気である。これが冬の南薩地方の天気なのだろうか・・・
 伊作では離合はなし。冬景色の中を淡々と進み定刻9時過ぎに加世田に到着。大晦日のこの日、街はすでにあわただしく動いていた。


加世田駅


加世田駅に停車中のキハ303

大晦日の南薩線(1)

天気は相変わらずどんよりしているが雨が降る気配はない。
例によって駅長室に構内での撮影許可を申し出る。
 「気をつけてね!」との声だけでノートへの住所氏名の記入は求められなかった。
 例によって3人が思い思いに構内をうろうろして撮影する。
 夏場には草が茂っていて見えないところも冬場は枯草を掻き分けることができ見る事ができる。
 そうこうしているうちに乗ってきたキハ303が列車番号を変えて枕崎行きになって出発していった。
 初めて加世田を訪問した他の二人は興奮を隠し切れないようで夢中にあちこちを見て回ったり撮影したりしていた。
 当方は、3度目の訪問であることもありあまりシャッターも押さないでいた。
 しかし、寿屋横の側線に並んでいた木造車で屋根が落ちていた車両は処分されていることが判った。確かに危険な状態であったのには間違いないが、前回訪問した時あったものが無くなるとやはり寂しい。
 1時間以上も構内にいただろうか・・・3人とも満足し駅長室に礼をし改札の外に出た。
 同行者の一人は鹿児島へ帰るので、さっきの枕崎行きの折り返し西鹿児島行きキハ303に乗っていってしまった。
 残った二人は、当初、金山〜鹿籠間の鉄橋で撮影する予定であったが、リバーサルフィルムは天気が曇ったままなのでやめることにし枕崎に直行することにした。
 出札で枕崎までの切符を買い改札が始まるとすぐにホーム入った。
 伊集院から来たのはキハ302、枕崎側にキユニ105が連結された。初めて見る100形と300形の二両編成である。総括制御はできないのでそれぞれの車両に運転士が乗務し加速時はブザー合図で操作することにはかわりはない。
 キユニの荷物室には加世田駅でなんかの入ったポリタンクが積み込まれた。なんなのだろうか・・・
 列車は、ダイヤ通りの正午、枕崎に向けて発車した。

 
加世田駅構内

 
廃車体 (右)はもと救援車エ4(キハ4)

大晦日の南薩線(2)

キユニ105とキハ302の編成は、一駅一駅ごとに停まりながら枕崎をめざす。
大晦日の買い物を加世田でした人たちが停まるごとにおりていく。
枕崎で降りた乗客は数人であった。
列車が枕崎に到着とするとすぐキユニに無番号の軽トラックが横付けされた。
軽トラの荷台に積んであった荷物がキユニの車内に移されて後、軽トラはキユニの違うところの扉まで移動して今度はキユニから荷物を受け取る。
無番号の軽トラであるから駅構内でしか使われていないはずである。リヤカーの代わりといったところであろうか。
キユニの一番枕崎寄りの扉からは、加世田で積み込まれたポリタンクとともにうどん玉の入った平たいケースが降ろされていた。
ポリタンクの中身がやっと判った。うどんの出汁だったのである。
そういえば、加世田駅の建物の一角でうどんやが開店していたのが真新しかった。
枕崎駅でも一角で店を出していた。
多角経営の一環なのであろう。都会の鉄道がやっていることを倣ったのだと思った。
列車は、25分間の停車時間の間にあわただしく荷物の積み下ろしをして13時5分に伊集院に向けて発車していった。
20分ほどしたら指宿枕崎線の3両編成の気動車が入線してきた。唯一の昼間の列車である。5分ほどで折り返していった。この頃のダイヤでは、日中に南薩線の列車と国鉄の列車が枕崎でならぶことはなかった。直通する需要はあるはずもないしダイヤも考慮されてはいなかった。しかし、そうなるとよけいに並んだところに光景を撮影したくなるものである。初訪問の時のダイヤでは並ぶことになっていたのでそのとき枕崎に来なかった事を後悔する。
 この後は、16時1分までの約3時間列車はない。出札で日置までの切符を前もって購入した。
 大晦日の午後の枕崎、駅前の一福は、閉まっているが、正月料理の仕込みであわただしく仕事しているのが伝わってくる。しかたがないので駅のうどんや空腹をいやす。
 天気はあいかわらずどんよりとしているが雨は降りそうではない。気分が乗らないので金山の鉄橋での撮影はやめる事になった。しかし、次の列車まではまだかなり時間がある。
 駅前をうろついていたら喫茶店が開いていたのでそこで時間をつぶす事にした。同行者との会話も少なくなり、バイブルとして持ってきた鉄道ピクトリアル誌1969年12月号臨時増刊私鉄車両めぐり第10分冊の「南薩鉄道・鹿児島交通」のところを何回も読み直した。
 15時10分過ぎに西鹿児島からのキハ303が到着した。折り返しまで50分近く停まっている。エンジンは止まらずアイドリングしたままである。枕崎では1分で折り返す列車がほとんどのなか異例に感じる。もっとも国鉄への乗入ダイヤとのかねあいだろうが・・・
 雑誌に載っていたような構図で車止めのところから撮影したりした。寒くなってきたこともあり発車まで30分近くあるが車内に入る。
 車内の中央で運転士と車掌がくつろいでいたが我々が入っていったのに気が付いてちょっとびっくりした顔をして言った。「もう改札ははじまっているのか?」
 持っていた切符をみせると納得してそれ以上はなにも言われなかった。
 改札はまだ始まっていなかったが構内をウロウロしていてそのまま列車に入ったのでそのことに気が付かなかった。
 発車時刻が近づいてきてもあまり乗客は集まらない。大晦日の午後は正月を迎える仕度で外出するひとは少ないのだろう。
 キハ303は、定刻に枕崎を発車、乗客は少なく降りる人ばかりで乗ってくる人はいない。加世田で多少の入れ替わりがあったがその後も降りる人ばかりである。
 冬の日が落ちるのは鹿児島でも早い。伊作ではもう暗くなってきた。
 吹上浜で男の人が1人降りると乗客は我々2人になってしまった。
 17時30分前、定刻に日置着。外は外灯が明るく感じるくらいに暗くなっている。交換する枕崎行きの列車から降りてくるホステラーと共に迎えにきてくれたユースの車で今日宿に向かった。
 初めての冬の南薩線訪問1日目はこうして終わった。

 
枕崎駅に停車中のキユニ105とキハ302

正月の南薩線 

 明けて1982年の正月。
 ユースの新年の行事のため結構早く起きる。
 地域の町内会長さんの新年の挨拶がありユースの宿泊者も参加する。
 昨夏、ヘルパーをしていた地元の方もこられた。
 なんと町内会長さんの息子さんだったのである。
 一言二言話をしてわかれる。
 早々に朝食をとり出発の準備をするが、本日の予定はきまっていない。8時34分の列車でとりあえず加世田まで行く事にした。
 ヘルパーさんに駅まで車で送ってもらうように頼むと引き受けてくれた。
 この列車で出発する宿泊者が我々以外にいなかったので日置駅ではなく吉利駅まで送ってくれた。
 吉利駅には結構早く着いたので我々が乗る下り列車と日置駅で離合する上り列車のキハ103を撮影することができた。
 しばらくして西鹿児島発加世田行きの列車がやってきた。昨日乗ったのと同じスジである。停車するとすぐに乗り込む。
 元旦の朝の列車、そこそこの乗客があるが混んではいない。乗客も旅行者と大晦日までに帰ってこられなかった帰省客がほとんどである。
 しかし、大晦日のうら寂しさはなく新年のすがすがしさが車内を包んでいる。
 昨日と同じ時刻に加世田駅に到着。
 駅員に断って構内に入れてもらう。
 しばらくうろうろしていると、他にも撮影している者がいた。
 1人はさっきの列車に乗っていた旅行者、1人は埼玉から親戚の家に来ているという中学生、そしてその中学生の従兄弟の小学生であった。
 彼らと世間話をしたり構内をウロウロしたりしていたが昨日も来ているのですぐに飽きてしまった。
 空模様も今ひとつなので金山の鉄橋での撮影はあきらめることになり、また、枕崎まで行く事にした。
 さっき乗ってきた車両が列車番号を変えて加世田発枕崎行きなる列車に乗り込む。加世田発9時49分発。今日は、加世田に30分ほどしかいなかった。
 一緒に乗ってきた旅行者も同行することになった。
 ポツポツと正月らしい乗客も見受けあれるようになった。
 車内の雰囲気は正月であるが列車はたんたんと一駅一駅ずつ停車しながら枕崎をめざす。
 定刻の10時29分、枕崎駅に到着。
 列車は、1分後の10時30分、西鹿児島行きになって慌しく発車していった。
 枕崎でも昨日と同じように構内をウロウロしたりするが、街にはでようとは思わなかった。
 もっとも元旦の街はシャッターが閉まっているだけでなにもないことだし。
 2時間ほどの間、列車は来ない。ただ、駅が存在しているだけである。
 それでも、時間は確実に刻んでいる。
 12時40分、キハユニ105とキハ103が入線してきた。今日は丸型と丸型同士である。
 元旦でも荷物の扱いはある。
 昨日と同じように無番号の軽トラがやってきて荷物の積み替えをしている。
 しかし今日はポリタンクはない。元旦はうどん屋はお休みのようである。
 その列車からユースに泊まっていた女性2人組みが降りてきた。
 当方らを見つけるやいなや「国鉄の枕崎駅はどこ?」と聞いてきた。
 こっちは、冷めた声で「反対側のホームッ!」とつかさずかえすと彼女らは「キョトン」とした顔をした。
 南薩線の枕崎駅と国鉄枕崎駅が別々と思っているのが普通なんかもしれないと感じた。
 南薩線を撮影するかどうか悩んだが天気が今ひとつなので撮影はあきらめることになった。
 結局、我々と加世田で知り合った旅行者、ユースで一緒だった女性2人で南薩線の列車の発車を見送り、そのすぐ後に入線してくる指宿枕崎線の列車で西鹿児島にでることになった。
 3両編成の気動車に揺られて約2時間半、薩摩半島の単調な景色を眺めながら時間をつぶした。
 西鹿児島駅に到着後、加世田で知り合った旅行者はユースに泊まる事になり、女性2人組みとはここで別れた。
 少々時間があったので駅前で市電の撮影をした。
 鹿児島本線の上り列車に乗り込み伊集院をめざす。
 元旦の午後、初詣かえりなのか着物姿の女性客も目に付く。正月であることを実感する。
 伊集院で乗り換え。連絡は5分ほどで17時15分発、車両は300形である。
 着物姿の女性も南薩線に乗り換えてきた。
 車内は立ち客が出るくらいに混んでいる。
 定刻に日置駅に到着。そとはもう暗いので撮影はしない。
 ユースから車で迎えにしてくれていた。
 我々のほか新しい宿泊者もこの列車で到着した。
 ユースでは、夕食後、町内会長さんの息子さんが遊びにきてくれた。
 今年大学を卒業し鹿児島交通と関連する会社に就職が内定しているを教えてくれた。
 できることなら観光用に蒸気機関車を復活させるような仕事をしたいとも話してくれ、楽しいひと時をすごす事ができた。

 
(左)枕崎駅での荷物の積み下ろし (右)日置駅の給水塔

 翌2日は、同行者が南薩線の撮影はもういいと言い出し、代わりに鹿児島市電を撮影することになった。
 例によって日置駅8時34分発の列車で伊集院に出て鹿児島本線に乗り換えて西鹿児島に向かった。
 大晦日に一緒だった者と3人で午前中市電の撮影をした。
 当方は、熊本に実家に戻るため昼頃の「有明」に乗車すべく早めにホームの自由席の乗車位置に行った。
 各方面の列車の案内や国鉄の気動車のエンジン音が響く中、ふと目をやるとオレンジ色の2両編成の列車が入ってくるのが見えた。
 バタバタと慌てカメラを取り出しなんとか1枚だけ撮影することができた。ホームの柱に隠れた部分もあり満足のいく構図ではないがしかたがない。
 ダイヤを確認したらもっといい位置を探していたのにと後悔した。なさけない話である。
 2日の午後の上り特急「有明」の車内は、ふるさとを後にするする人たちで結構混雑している。ふるさとの思い出とともに。
 当方も新しい思い出の1ページが加わった。




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