廃止の報を聞いて


急遽、南薩線へ

1982年は、春休みも夏休みも南薩訪問はしなかった。
さすがに3回も訪問すると新鮮味に欠けてくる。
ところが、12月中旬、実家の父から下宿先へ電話がかかってきた。
「鹿児島交通がだめのごたる」
一瞬、言葉を失ってしまった。
頭の中が真っ白になってしまった。
しかし、次の瞬間、自分の口から出た言葉は「今度の正月も吹上に行くけん、元旦はおらん、よかろ?」
父も別に止めはしなかった。冬休みの南薩行きが決まった。
すぐ、常宿にしているユースホステルに電話で予約を入れる。
ユースの主人と少しばかり話をするが、残念がっている。
それから、昨夏の訪問時に知り合った京大鉄研部にも電話で知らせる。
彼のところにはまだ情報がはいっておらず驚いていた。
昨年の訪問時、真新しいバラストが入れてあった光景からも信じられない。
こういとも簡単に方針転換ができるの理解できなかった。
色々と想像ばかり掻き立てられるが、現地に行って確認するしかない。悔しいがこればかりは仕方が無い。
1年ぶり、2回目の冬の訪問が始まった。


永吉川鉄橋を渡るキハ100形

始発列車に乗って(1)

冬休みに入り、すぐ帰省する予定であったが、補講が急に入り足止めをくってしまった。
気持ちだけはあせっているがしかたがない。
ようやく帰省できて熊本の家での用事をさっさとすまし、12月30日、夜行の臨時「有明」の客となる。
前回と同じように熊本で下車した客の空いた席に座る事ができた。
車内はふるさとをめざす帰省客がほとんどである。ウトウトしながら闇のなかの鹿児島本線を南下する。
定刻に伊集院に到着、改札を出て待合室で時間待ちをする。伊集院で下車し南薩線待っている人が結構いる。皆寒そうにしている。やはり南国鹿児島でも寒いものは寒い。
本日は、南薩線の始発列車に乗って枕崎まで一気に乗りとおす予定である。
この時期、日が昇るのも遅く撮影に不向きであることもあるが、車内走行音を録音するためである。
改札前の止まっている車両はキハ106、発車時間までまだ時間があるのでエンジンが止まっており静かにたたずんでいる。
急行「かいもん」が到着する前に出札が開き切符の発売が始まる。待合室に居た人が出札に並びそれぞれの行き先の南薩線の駅名を言って切符を買っている。当方も「枕崎まで!」
改札が始まると同じくらいにキハ106のエンジンが始動してアイドリングを始め黄色い室内灯が点灯した。
臨時「有明」からの乗換客でそこそこの席が埋まった。
当方は、2キロ強の録音機を肩に掛け最後部の仕切り壁中央にピッタリと背を付け右手にマイクを持って録音に備えた。
急行「かいもん」が定刻に到着、慌しく乗換えてくるお客が結構いて車内は通路を含めて立ち客もたくさんいる。
ふるさとをめざす帰省客がほとんどであるが旅行者とわかる者も何人かいる。
発車までの時間に旅行者らしき人が車掌になにやら聞いている。
お客:「この鉄道が廃止されるらしいと聞いたのですが?」
車掌:「はい。会社側はそう言っています。お年よりのお客さんは、バスは酔うから鉄道がないとこまってしまうとよく言われます。」
といった会話などが聞かれた。
こちらはそろそろ録音機のスイッチを入れ録音を開始する。
発車時刻になり、車掌は改札口や跨線橋の方に目をやって乗り遅れのる者がいないか確認し、手動の扉を閉めステップを引っ込めるエア操作を行い、運転士に発車合図のブザーをならした。
エンジン音が高鳴り満員の乗客を乗せたキハ106はゆっくりと動き出し伊集院駅をあとにした。


上日置-日置間(12月31日撮影)

始発列車に乗って(2)

動き出しキハ106は、闇夜の中、飯牟礼峠を越えるため右へ左へカーブしながら上りこう配に挑んでいる。車体は相変わらす大きく揺れているしジョイント音も変わらないはずであるが闇のなかで聞くとまた違った聞こえ方をするものだと感じた。大田ずい道に入ってときも何か違った感じがした。
暗闇と年末という季節感がそう感じさせているのかもしれない。
車掌は、発車するとすぐ車内を巡回し車内補充券を発行している。
急行「かいもん」からの乗換客は、伊集院までしか国鉄の切符を買っていない者が結構いるみたいで結構忙しそうにしている。
当方が乗っているすぐ前のお客は、ちょっと違っていた。見知らぬお客同士が話している会話を聞いたのであるが以下の内容であった。
「焼津駅で枕崎まで切符を買ったのだが南薩線経由という意味が駅の窓口の係員がわからなかったらしく指宿枕崎線経由の切符にされてしまった。急行「かいもん」から指宿枕崎線を回っていたら枕崎に着くのは午後になってしまう。」
当時のダイヤでは、急行「かいもん」が西鹿児島に着いてから発車する指宿枕崎線の列車で午前中に枕崎まで行く列車はなかった。
急行「かいもん」から乗り換えて枕崎へ行くのには南薩線が一番接続が良く早く着けるのである。
車掌は、そのお客の申し出はすぐには対応せず後回しにて結局加世田に着く前になった。
車掌氏曰く「伊集院から枕崎までのうちの切符は買ってください。国鉄の切符に伊集院から枕崎までの不乗証明をしますから枕崎駅で未乗区間の払い戻しをしてもらってください。」と言って車内補充券にパンチを入れて発券した。
お客は言われるままに運賃870円を車掌に支払った。
なるほど、確かに車内で精算する資料がそろってないのも事実である。取扱に感心してしまった。


日置駅(12月31日撮影)

始発列車に乗って(3)

列車は止まる駅ごとに数人のお客を降ろしていく。
前もって連絡してあるのか駅まで車で迎に来ているきてもらっている人もいる。
こんなところに年末の「帰省、里帰り」といったことを感じる。こちらは単なる旅行者である。場違いな感じがしたりする。
日置で上り列車と交換、西鹿児島行きの直行キハ300形である。外は、まだまだ暗い。
降車客も多いが若干の乗車客もいる。
以後、吉利、永吉、吹上浜、薩摩湖と一駅一駅とまりながらふるさとへのお客を降ろしていく。
伊作駅の手前の場内信号機のところで一旦停止したらなかなか動き出さない。運転士はタイフォンを鳴らして駅に催促しているがなかなか場内信号機がでない。
こちらは、録音用のテープが終わりかけているのが気にかかる。伊集院から伊作まで約40分を90分テープの片面に入れる予定にしていたからである。
しかし、あせってもしようがない。そうこうしているうちにようやく信号がでたのかゆっくり動き出して伊作のホームにたどりついた。
テープも何とか最後までいかずに伊集院から伊作までの車内走行音を録音することができた。ほっとした。
すぐにテープを裏返し伊作から加世田までの録音の準備をする。
伊作でも上り列車と交換があり、駅長はタブレットのやり取りで急がしそうにしている。
日置と同じように下車客も多い。やはり街が大きい事を改めて感じる。
伊作を出発して南吹上浜、北田布施、南田布施、阿多とお客を降ろしながら加世田に着いた。
加世田では、大半のお客が降りて車内も今までの混雑がウソのようになった。立ち客もいなくなり1ボックスに一人ないし二人の乗客になった。
加世田までの録音を終わってテープを入れ替え枕崎までの40分間の録音の準備をする。
今度は録音位置をかえてエンジン直上付近にシートに座っておこなうことにした。
駅長が枕崎からの上り列車が持ってきたスタフを「加世田−枕崎!」の声とともに運転士に渡す。
この時、時刻は6時56分、外はそろそろ夜が明け始めてうっすらとしてきた。
加世田からでもこの列車が枕崎行きの一番列車である。時期的に通学生もいないのかのってくる者はほとんどいない。
加世田までの駅とかわらなく停車する駅ごとにふるさとへのお客を降ろしていく。
ダイヤ通り7時36分に枕崎に到着、全員のお客が下車する。当方も録音機を止めてバタバタと荷物をまとめ下車する。
キハ106は、3分後の7時39分加世田行きとなって発車する。車掌は改札の方へ目をやって駆け込み客がいないのを確認すると手動の扉をしめて、発車合図のブザーをならした。運転士はタイフォンを鳴らして出発していった。
当方は、乗車せず出発を見送った。
やっと夜があけて明るく感じるられるようになった。
ここまでくると帰省客と同じくらい旅行者も目立ってきた。国鉄前線乗車イベント「チャレンジ20000キロ」の挑戦者が結構いるのは駅名表の前で写真撮影している旅行者が多い。
ほとんどの旅行者が南薩線の列車が出発した後、4分後に入ってくる指宿枕崎線の列車に乗るため駅に残っている。
わずかの時間の間に旅行記念の入場券を買ったり駅を撮影したりとバタバタしている。
当方は、改札を出ずホームにそのままいたので伊集院〜枕崎の切符が手元に残った。
当方も他の旅行者と同じように指宿枕崎線の列車の乗客になった。



南多夫施駅(12月31日撮影)

国鉄乗入れ列車を撮る

枕崎から指宿枕崎線の列車の乗客となる。
来る時乗った南薩線で折り返せば沿線で撮影できるのであるが運賃がかかり少々財布にこたえる。
国鉄は周遊券であるから「乗らなきゃ損」といった感じである。
それよりも今回は伊集院〜西鹿児島間の乗入れ列車を撮影するつもりであったから枕崎からの移動に指宿枕崎線の列車を利用した。
ターゲットは、お昼の乗入れ列車一往復である。
移動の車中、南薩線にも乗っていた旅行者二人と同じ席になり伊集院までの移動の間、色々な話をした。
彼らはそれぞれ一人旅で乗りつぶしをしていた。
南九州の乗りつぶしでは、急行「かいもん」→南薩線→指宿枕崎線→西鹿児島→水俣→山野線→栗野→山野線→薩摩大口→宮之城線→川内のコースでまわるのが効率がよいそうである。
その二人はたまたま同じ行程を組んでいたようである。
西鹿児島から伊集院まで特急「有明」で移動、その二人とわかれて下車する。
西鹿児島行きの撮影地を探しながら薩摩松元方面に線路沿いに移動する。駅に近いところは障害物が多く結構離れたことろでようやく撮影できそうなところを見つけて撮影の準備をする。
近くにある踏切の警報音が鳴り出し列車の接近を知らせる。
カメラのファインダーの中には小さいオレンジ色の点が見え出しだんだん大きくなってくる。2カット撮影、傍らを通り過ぎた列車はキハ301とキハ302の2両編成であった。
年末の多客期のための措置なのであろう。
すぐにカメラをしまい伊集院駅にもどる。今度は枕崎行きの列車を別の場所で撮影するため列車で移動する。
薩摩大口発の気動車に乗って上伊集院駅で下車する。この駅のホームはカーブしていて雰囲気が気に入った。
時間まで駅舎の法に行ったりしてウロウロしていたら同好の志らしき者がいたので声を掛けた。
その彼は、鹿児島大学の鉄研部員で、今日は、執筆依頼されている全線全駅の原稿を書くための取材と南薩線列車の撮影を兼ねているとのことであった。
そうこうしているうちに枕崎行きの列車が入ってくる時間になり撮影のため上りホームに移動した。
あたりまえであるがさっき撮影した編成が西鹿児島方面から入線してくる。入線、出発と3カット撮影することができた。
時刻は午後1時半前、日はまだ高い。国鉄線内にいてもしようがないので、その後は、彼と一緒に南薩線内での撮影をするためとりあえず伊集院にむかった。


国鉄乗り入れ列車(伊集院-薩摩松元間)

沿線の様子

伊集院まで国鉄の列車で戻り、撮影地点を探す。
南薩線が県道24号線と交差している付近で撮影する事にした。
築堤のそばてしばらく待っていると遠くからタイフォンの音が聞こえだししばらくしてカタコトン、カタコトンといったジョイント音が加わる。
やってきたのは枕崎発のキハ100形とキユニ101の2両編成である。
さっき上伊集院の駅で撮影した枕崎行きとは伊作で離合した列車である。
築堤の下の方から見上げるように1カットだけ撮影した。
列車が通り過ぎた後、伊集院の駅まで戻る事にしたが、道路を歩かず線路内を歩いた。
神之川の鉄橋のところまできたとき、木造貨車の車体が線路際に置いてあった。
屋根は朽ちて落ちかけており使われているようではなかったが、以前は保守用の倉庫とかに使われていたのだろうと思った。
鉄橋は渡らずに道路に回り伊集院の駅まで戻ってきた。
撮影した車両は、伊集院の駅の定位置に停車しておりキユニからは荷物の積み下ろし作業が行われていた。
この列車が折り返すまで2時間近くもある。この列車を移動に使っていたら少し遅くなる。
駅前のバス停の時刻表をのぞいてみたらもうすぐ伊作行きのバスがある。
このバスで永吉まで移動することにした。
バスに乗り込み時間調整で一服している運転士に永吉駅に近いところはどのバス停か尋ねたがもう一つピンと来ない様子である。しばらくして「麓(ふもと)でいいんじゃないの」との返事がきたが、信じてよいものか心もとなかった。
バスは、県道24号線から県道37号線に入り飯牟礼峠をカーブしながら越え日置も街中を通り吉利の手前で国道270号線に入った。
吉利の町を過ぎ国道から外れて東の方にしばらく走ると「永吉麓」のバス停にきたが、駅が近くにありそうもない。
南薩線はだいたい国道270号線にそっているはずと思いバスもいずれ国道に戻るだろうと予想しそのまま乗りつづけた。
しばらくして「永吉十文字」のバス停の案内放送がありピンときて降車ボタンをおしバスを降りた。
予想したとおり永吉駅は交差点からすぐのところにあった。
やっと南薩線の駅をゆっくり見る。
「鉄道廃止反対!」の張り紙が見える。その張り紙は、印刷ではなく全て手書きである。
たぶん職員の手製なのであろうと思った。
時刻は16時を回っていた。
これからしばらくの時間は上下列車とも40分間隔で設定されているので永吉付近にいると約20分間隔で撮影する事ができる。
最初は、永吉川の鉄橋を走るキハ100形を平行している石橋の上から逆光で撮影。
次は、鉄橋の下流側左岸から順光でキユニ101とキハ100形の2両編成を撮影した。
もっと列車はあるのだが日が落ちるのが早く暗くなってきたので撮影するのをやめにしてユースに入ることにした。
永吉の駅に戻りここで鹿児島大学の鉄研部員とは別れた。彼はもう少しがんばって撮影するという。
伊作方面から列車がやってきた。キハ302を先頭にした300形2両編成西鹿児島行きである。入駅のところを露出計を無視して1カット撮影した。
前の車両に乗り込むとしばらくして車掌が切符を売りにきた。日置までの切符を買って2駅間乗車した。
2両編成であるがそれほど乗客はいなかった。伊集院と西鹿児島の間で混むのであろうか。
日置に着いたときにはかなり暗くなっていた。
日置駅にも廃止反対の張り紙がしてあるのが目に付く。
ユースから車で迎にきてくれていた。
今日一日、薩摩半島一周、国鉄乗り入れ列車の撮影、初めてのバス移動、などバタバタと色々な経験をした日であった。


(左)線路脇の木造貨車の車体 (右)永吉川鉄橋を渡るキユニ101とキハ100形

1982年の大晦日(その1)

この日は、日置駅発9時7分の枕崎行きで加世田に向かうことにする。
やってきたのは、西鹿児島発であるからキハ300形である。
上りの伊集院行きも同時刻発車で日置駅で離合する。
昨年の大晦日に乗ったときと同じような雰囲気で正月の最後の買い物にいくと思われるお客がのっている。
外の景色も同じである。冬枯れの中を列車はせわしいジョイント音を響かせながら淡々と走る。
伊作では、交換列車はない。40分ほど乗車して定刻に加世田に着いた。
構内の様子は、今までとほとんど変わりがなく写真を撮る気にならなかったので、構内撮影許可は申し出なかった。そのかわり駅の回りを一周してきたり貨物ホーム跡から構内の様子をながめたりしていた。
ただ違っていたのは、「鹿児島交通鉄道廃止反対にみんなでたちあがろう 私鉄総連鹿児島交通南薩労働組会 鹿児島交通線廃止反対対委員議会」の立て看板と「廃止反対」の手書きのポスターであった。
貨物ホーム跡は、駐車場として使われており年末の買い物に来た人の車がひっきりなしに出入りしていた。
この駐車場の管理は駅がやっているらしく、場内での誘導や料金収受は鉄道の駅の人が行っていた。鉄道本来の仕事よりもこちらの仕事のほうが忙しそうに感じた。これが現実なのか。
そうしているうちに当方が乗ってきた列車が枕崎で折り返して西鹿児島行きとなってやってきた。また、日置で伊集院行きで上って行った列車が枕崎行きとなって折り返してきて加世田で離合する。枕崎行きの列車にはユースで一緒だった鰹のタタキを食べに行くという連中が乗っていた。お互い気づいて手を振った。
当方は、上り列車にも下り列車にも乗らず列車の発車を見送った。
次の上り列車までは2時間半以上ある。どうするかしばらく考え込んでしまった。


加世田駅にて

1982年の大晦日(その2)

行動の結論を出した。
「伊集院方面に向けて線路沿いに歩いて行こう。」である。
線路沿いであるが、実際は、ほとんどの区間を線路内を歩くのである。
加世田の駅前から寿屋を過ぎ万世方面への道路と交差する踏切のところから線路内に入る。
枕木のピッチにあわせるのが最初は思うようにいかなかったがだんだん慣れてきてきにならなくなった。
しばらく歩くと万の瀬川の鉄橋のところまで来た。とりあえず、伊集院方面を向いて一枚撮影する。
さて、どうするか思案したが、思い切って渡る事にした。ここの鉄橋には通路はない。枕木と線路だけである。
枕木を足場にして一歩一歩慎重に渡る。たいした距離ではないはずだが結構な時間がかかったように感じた。
振り返って鉄橋の写真をもう一枚撮影する。
その後は、線路内を淡々と伊集院方面に向けて歩く。時折、1/25000の地図を見ながら位置を確かめる。
阿多、南田布施、北田布施、駅ごとに駅舎や駅名表の撮影をする。
南吹上浜に来た時、上りの列車の時間が迫っており伊作まで行けそうもなかったので乗ることにした。
しばらくするとキハ100形とキユニ101の2両編成がやってきた。
乗り込む乗客は一人のみ。列車が発車するとすぐ車掌氏がやってきて切符を購入する。「伊作」まで一駅のみ60円。
あっというまに伊作に到着、ここで西鹿児島発の枕崎行き300形2両編成と離合する。
下車してホームの加世田よりにいって2列車の並んでいるところを撮影する。
両方の列車が出発した後、駅名表を撮影し改札を出て線路に沿った道路を歩き出す。
薩摩湖の手前の踏み切りからまた線路内をあるきだし、薩摩湖、吹上浜の駅や駅名表を撮影する。
吹上浜まで来てこれから先は切通しのところが多くなるので線路に沿った道路ではないが国道を移動することにした。
国道を走る車は結構なスピードを出している。
自転車に乗った地元の年配に人に追い越される時、声を掛けられた。「どこまで歩いてくの?」
「日置までです!」と答えたが別に驚いた様子もなく行ってしまった。
昨日きた永吉十文字の交差点から永吉駅の方に入る。
永吉の駅や駅名表を撮影して線路に沿った道を歩き石橋を渡ってまた国道を歩く。
同じように吉利の駅でも国道から入り駅と駅名表そして倉庫で使われていたと思われる貨車を撮影する。


万之瀬川鉄橋

1982年の大晦日(その3)

吉利駅を後にして国道を歩く。
国道が南薩線をオーバークロスする地点で上り列車を真上から撮影することにする。
やってきたのは、伊集院行きのキハ102の単行。まず真正面から1カット撮影する。すぐさま道路を反対側に渡り後追いで1カット撮影する。
撮影後すぐその地点で国道から分岐する日置方面への道を進む。
しばらくすると南薩線の踏切についた。一面は耕作の済んだ田畑で見通しがよい。踏切を渡ってすぐのところで下り列車を待つ。
さっき撮影した列車と日置で離合してきたキハ100形とキユニ101の2両編成がやってきた。2カット撮影する事ができた。
その後、日置駅まで行き待合室で休憩する。加世田からここまで、一駅間列車に乗った以外歩きづめである。さすがに疲れを感じる。
しばらくすると、出札窓口があき「出札をはじめます」の声、当方以外だれもいないので「すいませ〜ん、ちょっと休憩させてください」と答えた。返事はなかった。
列車の時刻が近づいてきたので、もうひとがんばり撮影することにした。外はかなり白みかけいてきている。
日置駅の伊集院寄りの踏切の所へ行って列車を待つ。
伊集院方面からキハ102が単行でやってきた。1カット撮影。車内から枕崎へ行ったユースの同宿者が乗っていてお互いに気が付き手で合図した。薩摩半島を一周してきたようだ。
振り返って日置駅のほうを撮影する。下りのキハ102と上りの西鹿児島行きキハ300形2両編成が並んでいる。
この数分のあいだにまたたくまに日が落ちてしまい上り列車の撮影はあきらめることにした。
急いで駅にもどりユースから迎えに来てくれた車でユースに戻った。
その晩は、ユースの年越しの行事で夜遅くまで起きてきた。
この日の宿泊者には同好の志もいた。何度もきているとのことだが今まで会えなかったことで色々と話が盛り上った。
その彼は、春休みには、ここのユースでヘルパーをする予定とのことで再会を約束した。

1983年元旦
昨年と同じように行事があり新しい年が始まった。
朝食後、今度のダイヤのホステラー出発指定列車である9時7分発の列車で熊本への帰路についた。
会社側の発表通り年度末に廃止になるのかどうかわからないが春休みに再訪することを強く誓って特急「有明」の車中の人となった。


日置駅付近



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