1983年春の旅 追加編

南薩線への出戻り

 3月中は、車中泊をしながら、九州内の国鉄線を乗り回していた。
 新しく開業した筑肥線にも乗車、大畑で一日過ごしたり、北九州地区の路線を乗り潰したり、西鉄甘木線の200形に乗りにいったりした。
 当方は、一旦同行者と別れ実家に戻ったが、再び吹上浜ユースで落ち合うため行動を開始した。
 春休みも後半戦に入った4月1日、特急「有明」で南下を開始し水俣まで行く。
 水俣から山野線に乗換え薩摩大口まで乗車。途中、車中から薩摩布計駅に設置されていた大川ループの案内板を撮影する。
 薩摩大口からは、宮之城線に入る。薩摩永野では、併走する上下列車が同時進入である。
 宮之城駅では、2分停車の間にスタンプを押すため駅舎に向う。
 ホーム上に見事なさくらの花が咲いていたので撮影を試みる。1カットだけ撮影できた。
 やはり、さくらの花を見ると春を実感する。九州入りした10日ほど前とは、確実に季節が移っているのが感じられる。
 川内に着き、出水からの気動車に乗換えて伊集院へむかう。予定通り15時14分伊集院に着く。
 16時25分発の枕崎行きまで1時間あまりを駅前ですごすが、ユースに予約を入れないといけない。
 駅の公衆電話から電話すると満員とのこと。しかし、電話にでたヘルパーが当方のことを覚えていてくれていたらしく布団部屋だったら空いているのでそこでも良いかと言ってきたので二つ返事で泊めてもらうことにした。
 出札が始まり日置までの切符を買う。
 切符に入れられた日付は「58-4-1」である。状況のよっては乗れなくなっていたかもしれない日である。そう思うとなんか不思議な感じがする。
 改札が始まりアイドリングしているキハ100形に乗り込む。
 発車時刻になり聞きなれたいつもの合図やエンジン音で列車が動き出す。
 何度となく乗っている区間であるが夕方近くの時間に乗るのは初めてである。
 回りの空気が違うように感じる。
 定刻に日置に着く。西鹿児島行きのキハ300形も入線してきた。
 同行者が撮影しているのを見つけた。彼もユースの予約がとれていた。
 双方向への列車の出発を見送り、迎えにきてくれた車でユースに向った。
 日はまだ高いのであるが、南薩線を撮影することよりもこの土地の空気に触れることに楽しみを感じ始めていた。

南薩の春につかる

 ユースに宿泊した同行者は、今日(4月2日)帰途につくことになった。
 当方は軍資金が底をついてきたので鹿児島市内の銀行までおろしにいくことにした。
 同じように鹿児島市内に用事があるという同宿者と9時過ぎの出立列車で伊集院に出る。
 周遊券を持っているので伊集院までの切符を買う。切符の番号は「0126」。
 改札を出ないで国鉄に乗り換えるので手元に切符が残った。
 鹿児島市内では、銀行の用事を済まし天文館などをぶらついてお昼の直行のキハ300形に乗って伊集院まで戻る。
 単行の列車には立ち客がでるくらいの乗客が乗っている。
 午前中に買い物に行った帰りなのか親類の家に用事にいくのか乗客の雰囲気が朝の列車とは違って感じる。
 直行であるが伊集院で下車した。
 一緒に鹿児島市内まで行った者が節約のため歩いて帰るというので付き合うことにした。
 日置まで約8キロである。
 初めて道路の飯牟礼峠を越える。
 途中に「凍結注意」の看板を見つけで驚いたりする。改めて「南国鹿児島=暖かい」はウソであることを感じる。
 2時間ほどでユースに戻りつく。
 一休みしていたらもう夕方になってきた。
 そろそろ今日ユースに宿泊する者が乗ってくる列車が着く時間になってきた。
 カメラを持って駅まで行く。
 日置駅の北側の踏み切り付近の畑は一面レンゲの花が咲いている。
 日置富士(城山)を背にレンゲの花を入れた構図を構える。
 下り列車でやってきたキハ100形を踏切の東側から撮影する。
 しばらくすると日置で離合した夕方の西鹿児島行き直行のキハ300形がやってくる。
 今度は踏切の西側から同じように山と花を入れて撮影する。
 空の青、山の新緑、レンゲの花の紫、そして南薩線のオレンジ色、描いたような南薩の春である。

 
日置駅付近で

南薩の春につかる(その2)

 毎日、天気は良い。
 しかし、遠くまで撮影しに行く気にはなかなかならない。
 日中はユースの付近でブラブラしているだけである。
 南薩線に接するのは朝は出発するホステラーを見送りに駅まで行き、夕方到着するホステラーを出迎えに駅までいくことだけになっていた。
 毎日、ゆっくりとした時の流れを満喫していた。
 今日こそは、出立しようと思いつつ、ついつい連泊してしまう。
 4月4日、またまた軍資金が尽きてきたので鹿児島市内の銀行までおろしに行く事にした。
 お決まりの9時過ぎの列車で伊集院に向う。
 日置駅で伊集院での切符を買う。番号は「0181」である。
 二日前に買った切符の番号が「0126」であるから、二日間での発売実績は、「55」枚である。
 一日平均30枚ないのである。このうち何枚かはホステラーが利用しているので地元の利用者はもっと少ない事になる。「これぐらいしか乗っていないのか・・・」と現実が突きつけられる。
 二日前と同じように伊集院で国鉄に乗換えて西鹿児島に向かい歩いて天文館近くの銀行に向う。
 銀行で軍資金をおろしお昼の直行列車まで市内で時間をつぶす。
 西鹿児島駅で単行のキハ300形に乗り込む。
 二日前と同じような混み具合である。
 今日は、日置まで乗って帰るので、発車待ちの間に車掌氏に周遊券を見せ伊集院から日置までの車内補充券を発行してもらう。
 車掌氏も当方が南薩線の写真を撮っているところや日置駅付近をうろついている事を知っているようで色々と話をするようになった。「どこからきてるの?」から始まって「最近は皆さん良いカメラを持っていますね。」などの話をした。
 当方は西鹿児島発車後も車掌台付近に立っていて、日置までの間、車掌氏の手が空いた時、話し相手になってもらった。
 日置に着きユースに戻ると、ゆっくりと流れる時にひたっていた。

 春休みも残り少なくなってきた。
 ユースに宿泊するホステラーも日一日と少なくなってきている。
 南薩線沿線にもユースにも春休み当初の賑やかさはもうない。
 当方も踏ん切りをつけなければならない。
 4月6日、出立する事にした。
 いつもの9時過ぎの列車に乗る。
 伊集院までの切符を買う。番号は「0237」である。
 二日間に売れた枚数は56枚である。おもわずため息がでた。
 車中から見送ってくれるヘルパーたちに手を振り別れを惜しんだ。
 何度となく乗った同じ時間帯の列車である。
 このたびは、滞在期間が長かったにもかかわらず結果的にフィルムの消費量は多くは無かった。
 南薩線を記録する事よりも南薩の空気にひたることで満足感をえていたようである。
 賑やかなジョイント音を聞きながらそのようなことを思っていたら列車は伊集院に着いた。
 改札を出ることなく鹿児島本線の上りホームに移動し特急「有明」を待つ。
 「有明」の自由席の客となり南薩線の線路を見ながら今回に旅の終りを認識する。

 廃止反対運動は行われているが、どうなるか予断をゆるさない。
 なんとか留年せず四回生になることができたが、自由はなくなった。
 夏休みに訪問できる可能性はほとんどない。
 交渉の進展によっては、南薩線にあえるのは今回が最後になるかもしれない。
 明日からは日常の生活になることへの寂しさとともに色々なことが頭の中をめぐっているが、「有明」は快調なジョイント音を奏でながら北進している。



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