廃止前夜の南薩線

お別れをするために

正月休みもまたたく間に終わり、いつもの生活に戻った。
卒業研究も大詰めに入り多忙を極めている。しかし、ホッとする時間ができると南薩線のことを思う。
ちょくちょく出入している模型店で顔なじみになった中高一貫の学校に通っている中学3年生が南薩線に興味を示している。
南薩線を訪れたことのない彼は、ぜひ廃止になる前に訪問したいと願っている。
彼は、ちょくちょく鹿児島交通本社に電話をかけ、状況を調べ当方におしえてくれる。
「まだ正式には決定していません。」
「廃止することは決まりました。認可申請の準備中です。」
「認可申請をしました。」
「まだ、廃止認可は下りていません。」
「認可が下りました。3月17日までです。」
南薩線最後の日が決まった。そして当方は運良くスケジュールが空いている時期である。運命のめぐり合わせか。神仏の助けか。それとも南薩線が呼んでいるのか。いずれにしても南薩線に行けるのである。
中3の彼も期末考査後の休みの期間とかで行けることになり喜んでいた。
早速、ユースに宿泊予約の電話を入れる。電話の向うの声も待ってましたいうような感じである。
中3の彼と落ち合う日と場所を決め、当方は一足先に九州入りすることにした。
3月11日真夜中、下宿先を徒歩で出る。駅まで約1時間半である。5時半過ぎの下り始発普通電車に乗り一日かけて山陽路を西にむかい九州をめざす。手の中には「九州周遊券」。
何回か乗り継ぎをし、関門トンネルをくぐり九州に入る。博多からは特急「有明」で一気に熊本に向かい、晩には実家に入る。久しぶりに家族と会うが頭の中には南薩線のことしかない。
次の日一日休息し、3月13日正午過ぎに熊本駅を目指して徒歩で実家を出発する。
1時間ほどで熊本駅に到着。しばらくして急行「かいもん」が入ってきた。ホームから自由席の空席を探していると中3の彼がデッキのところに立って迎えてくれた。
予定通りおち合い彼が確保してくれたボックスにおさまる。他にも南薩線を目指していると思われる人も何人か見受けられた。
急行「かいもん」は熊本での長時間停車の後、ED76のホイッスルを合図に動き出した。
南薩線にお別れをするための旅のはじまりである。


日置駅



3月13日

急行「かいもん」はダイヤ通りに走っている。停車駅全てが記憶に無いところから寝ていたこともあるようだ。
伊集院に到着、いつもであれば下車するのであるが、外はまだ暗く撮影も難しいので、改札前のホームに停車しているキハ302を車中から見て終着の西鹿児島まで乗り通す。
「構内食堂」で朝食をとり、明るくなりだしたので、7時前に西鹿児島駅に入ってくる伊集院からのキハ302を撮影する。前面にはモールで飾り付けられたヘッドマークが取り付けられている。
「鉄道廃止前のイベントがおこなわれているのだろうか。」などど思ったりする。
ちなみに国鉄のダイヤ改正にあわせて2月1日に南薩線もダイヤ改正されており、通学臨である加世田発薩摩湖行きの列車が無くなっていたりする。
撮影後、ED76の牽引する旧型客車の鹿児島本線上り列車で伊集院に移動する。まだ寒いのでスチームの暖房が効いてなんとも気持ちよく感じる。
伊集院から日置まで代替バスで移動する。駅前の広場から発車するこのバスは、鉄道の車掌氏も同乗しており年末来たときとかわらない。
このバスは、日置〜加世田間も鉄道の代替として走るので日置駅前まで入らず近くの郵便局前で下車する。通学時間帯の輸送力のスジであるがバスでまかなえるのか不思議に感じたりするがこれが現実である。
8時ごろにユースに着き荷物を預け一服する。
日置駅発9時前の列車で加世田に移動する。我々だけでなくユースに泊まっているホステラーやヘルパーも加わり総勢10名ほどになった。
加世田から上ってきたのは前面にヘッドマークと側面に「みなさん、さようなら」の看板を付けたキハ103である。
加世田に着くと同行の彼は夢中にシャッターを切っている。
構内にもフリーで入れるようになっており、綺麗に化粧直しされた1号機関車は説明書とともに撮影しやすい位置に留置してある。
外観は綺麗に見えるが、ボイラーの下部をみるとボロボロになっており、このまま復活するのは難しいと感じた。
駅の待合室には、地元の方々が撮影された写真が展示してあった。加世田〜枕崎間の水害の被害の生々しい光景を撮影した写真もありしばらくの間言葉が出なかった。
2時間ほど加世田構内で撮影をして、12時頃発の上り列車で加世田を離れる。今度の列車はキハ301である。
我々2人は永吉で下車する。昨年の春きたときに挑戦した石橋のアーチの中に列車を入れる構図への再挑戦である。
昨年と違い潮が引いていないのでズボンの裾をまくり裸足になって川の中に入り、ひざまで水につかり列車がくるのを待つ。
折り返しやってきたキハ301に対し一回のみシャッターを切る一発勝負である。隣りで撮影していた彼より少し遅れてシャッターを切った。
彼が、「ばっちし!」と声をあげたので失敗したと思ったが出来上がってみたら満足の行く出来であった。
その後、線路内を徒歩で日置まで移動する。
日置駅に着いた時には、伊集院から回送されてきたキハ302がすでに到着しておりアイドリング音が付近に響いていた。
加世田からのキハ301が15時45分頃到着し乗客を降ろす。少しして加世田行きのキハ302が伊集院からの代替バスの乗客を受けて出発、伊集院に回送されるキハ301はその後16時過ぎになって日置駅を出発していった。
この後、18時過ぎまで列車はなく代替バスによる運行なので列車の撮影は難しくなるので日置駅を後にしユースに戻った。
今回の旅の初日が終った。

 
左から、西鹿児島駅のキハ302、加世田駅の1号機関車

 
左から、加世田駅構内、永吉川鉄橋を渡るキハ301



3月14日

今日は彼と枕崎まで行く事にする。
いつもであれば9時前の列車で行動を開始するのであるが、今日は10時半頃の列車に乗る。
加世田に11時過ぎに到着。
枕崎行きの代行バスまで1時間ほどあるので構内をウロウロする。
1号機関車は、昨日と同じところに留置してあり、多くの人がカメラのレンズを向けている。
12時過ぎのバスで枕崎に向かう。
バスは、伊集院〜日置間の代行バスと同じく鉄道の車掌が乗っていて、鉄道の駅に相当するバス停のみに停車する。
線路は見えないかと窓の外が気になる。道床が流されてしまい線路が宙吊りになっているのが見えた時、水害がひどかった事を改めて認識した。
鉄道とほぼ同じ所要時間で枕崎駅前に到着した。
とりあえず昼食をとるため駅前の「一福」に入り、カツオのタタキ定食の一番高いのを奮発した。(1500円だったと思う。)
初めてのカツオ尽くしの料理だったので興味津々である。
二人ともでてきた料理を味わいながら美味しく食べたが肝の料理の外見がグロテスクでなかなか箸を付けられずにいた。
残す事も考えたが、もったいなくも思い勇気を出して口に入れたら、カツオの味がして(あたりまえだが・・・)美味しいのである。こんなことならもっと早くから箸を付ければよかったと思った。
店を出て、駅の待合室、改札を通りホームに入ってみる。
水害により加世田の基地に戻れなくなったキハ102がポツンと静かに停まっている。
回りを見てまわると社紋の横に何かのステッカーが貼ってある。よく見るとNHKの夕方の子供向け情報番組である「600こちら情報部」のイメージキャラクター「ロクジロー」である。
よく見ている番組であるが南薩線が取り上げられていたとは知らなかった。
車止めのところから撮影したりしていたら指宿枕崎線の列車が入ってくる時間が近づいてきた。
キハ47−キハ65−キハ58の3両編成の列車は定刻に入ってきた。
結構多くの人が降りてきて少しの間駅が賑やかになる。
5分ほどの折り返しの間に我々は南薩線の車両と国鉄車の並びをバタバタと数枚撮影した。
国鉄の列車は発車時間になるとエンジンをふかして発車していった。
駅には静寂が戻った。時間がきても動かないキハ102がなんとも惨めに感じた。
我々は14時半前の加世田行きの代行バスに乗って来た道を戻った。やはり窓の外が気になる。線路が宙吊りになっているところを改めて見る。言葉にならない。
加世田から列車に乗換える。車両はキハ303。旅客扱いは日置までだが伊集院まで回送されて伊集院〜西鹿児島間の運用に今日の夕方から明日の昼まで入る車両である。
我々は永吉で下車。乗って来た列車が日置で交換する下り列車を鉄橋のところで撮影することにする。
しばらくして、タイフォンが聞こえ出し、続いてジョイントを刻む音も聞こえ出す。
鉄橋の上流側左岸からカメラを構えファインダーをのぞいて構える。列車が鉄橋に入り独特の音が回りに響く。やってきたのは、昨日、日置から伊集院に回送されてキハ301である。1カットだけ撮影できた。
夕方になり列車で日置まで帰るには2時間近く待たないといけないので永吉十文字のバス停からバスで帰る事にしてバス停のベンチに腰をおろした。
バスを待っていたら加世田方面から来た白のフォルクスワーゲンのワゴンが停まって乗らないかと誘ってくれる。
言葉に甘えてユースまで送ってもらった。
その車中に国鉄構内への入場許可証みたいな物があったので、「国鉄関係の仕事をしているのですか?」と訪ねてみた。
返事は、「鉄道に関する仕事はしている」ということであった。
また、当方の南薩線に対する想いなども話した。
10分もかからずにユースに着く。Uターンで折り返していく車に改めて御礼をしてユースにもどった。
この車の運転をしていた方が、鉄道写真家として有名な荒○好夫氏であったことを知ったのは数ヶ月たってからである。

 
左から、枕崎駅のキハ102、キハ102の車体に貼られたステッカー


国鉄列車とキハ102



3月15日

今日は天気があまりよくない。しかし、すぐに雨が降ってくるようでもない。
今日と明日の二日間、鹿児島交通主催の「南薩線さよならツアー」が行われる。
鹿児島市内を貸切バスで出発して加世田に向かう。加世田から12時頃出発する列車に乗って薩摩湖に行く。薩摩湖で1時間ちょっと散策した後、臨時列車で薩摩湖から日置に向かい出迎えの貸切バス鹿児島市内に戻るというものである。
そう言う訳で日置〜薩摩湖の間にいつもより一往復多く列車が走るのである。
(加世田1200頃→日置1240頃:定期、日置→薩摩湖:回送、薩摩湖→日置:団体専用、日置1420頃→加世田1500過ぎ:定期)
今日もとりあえず永吉の鉄橋のところに行く事にした。
日置を10時半頃出発する加世田行きとなる列車はキハ302とキハ301の二両編成で加世田からやってきた。入駅シーンを給水塔のところで撮影する。
乗務員はてきぱきと折り返しの作業をし伊集院からきた代行バスからの乗換え客を受け駅長の合図がでるとタイフォンを鳴らしてすぐに発車した。我々も乗り込む。
永吉で下車し、列車が発車するところを後追いで撮影する。
とおりなれた道を鉄橋のところまで移動する。ここに来るのは今回の旅において3回目、毎日である。
今度の列車が来るまで2時間近くあるが、我々の他にも2人ほど同行者がいる。
互いにどちらからともなく話をするようになった。
一人は、大阪から来た3月に高校を卒業するという者で加世田に親戚がいるという。もう一人は当方より少し年上の社会人で京都から来た者であった。
みな何度も南薩線を訪問しておりそれぞれの思いを列車を待つ間に語り合った。
京都から来た者は切符のコレクターでもあり色々な情報を持っていて教えてくれたが、なかでも大阪駅に非常用として備え付けられていた「大阪市内→加世田」の硬券を入手しようとしたが、3月初めに処分されてしまったことを知って残念がっていた。
そうこうしているうちに薩摩湖で団体客を降ろした列車がやってきた。編成はキハ106とキハ103の二両編成である。二両ともヘッドマークと側面に看板を付けている。鉄橋の上流側右岸から撮影する。
その後、4人連れ立って日置から薩摩湖までの回送列車までを待つまでの間に近くのラーメン店で昼食を取る。
回送列車を今度は左岸から撮影する。
鉄橋での撮影ばかりになったので団体列車の撮影に場所をかえることにしたが移動時間はそう多くない。
鉄橋のところから吉利方面にいったところにある築堤のところで撮影する事にした。
わかりきっているがやってきたのはキハ106とキハ103の二両編成。2カット撮影する事ができた。
その後、永吉駅に戻り定期の下り列車となったこの編成を撮影した。
次の列車まで1時間ほどあり永吉駅付近をウロウロしたり4人でたわいもないおしゃべりをしながら時間をつぶした。
列車を待っている間に雲行きが怪しくなってきた。上り列車のキハ301がやってきたので我々は今日会った2人と別れて列車に乗り込んだ。
日置駅に着いたころにはとうとう雨が降り出してきた。傘を持ってきていなかったので雨に濡れながらユースまで走って帰った。
体が冷えてしまい体調をくずしたのか夜中にトイレに立ったりしてその夜は良く寝ることができななった。
一晩中降り続いた雨の音を聞きながら最後の日が迫っている南薩線のことを思うとなんとも言えない気持ちがこみ上げてきた。


永吉川鉄橋を渡るキハ106とキハ103



3月16日

朝起きたら雨は止んでいた。体調のほうも悪化せずまずまずである。
同行の彼は明日が中等部の卒業式なので今日の夜行で帰る予定である。しかし、現地に来て最終日を前にこの地を離れる事に後ろ髪が引かれて悩んでいる。実家に電話して親と交渉してみたが、さすがに認めてくれなかった。
当方には、もう一つ気がかりな事があった。秋に別府鉄道で会い年末に南薩で会った者に連絡がとれなかった事である。その彼は、東大寺のお水取りの行事に参加しておりこの期間は外からの情報が入ってこない生活をしている。当方も連絡を試みたが直接声を聞くことは出来なかった。

とりあえず加世田まで中3の彼と行くことにする。
この日は特別の切符が発売されている。
その切符は、1000円で伊集院〜枕崎間一日乗り放題の切符である。
バスの「鹿児島フリー乗車券」に「伊集院−枕崎」「59.3.16」「\1000」「さようなら南薩線」のゴム印が押してある。
ユースの宿泊者数人も加わってちょっとしたツアーとなり10時半頃発の列車で加世田に向かう。車両は飾り付けのされたキハ103とキハ106の二両編成である。
加世田で一時間ほど時間があるのでユースの宿泊者と記念撮影したり構内をうろついたりする。
鉄道廃止にちなんだ乗車券やグッズを発売していることを知らせる張り紙が待合室に張ってあるのは初日から知っていた。購入するかどうか悩んでいたが、1号機関車のボイラー図面2枚で1000円を思い切って買うことにした。
出札の窓口に申し出ると、事務所の中に入ってくるように言われた。
売り出しては見たものの買う人が少なかったのか珍しがられて少し話をすることになった。
相手は鉄道部長で当方が新年度から鉄道の仕事をすることを言うと励ましの言葉をかけてくれた。
帰りの列車の時間も近づき先方も忙しそうだったのでその場を辞した。
来た時と同じ車両の列車に乗る。薩摩湖までは「さようなら南薩線ツアー」の客と一緒である。
その他にも家族連れも結構いる。エンジンの音に驚いて泣き出してしまい列車に乗りたがらない3歳ぐらい子供がいた。親は乗りたさそうにしているのであるが、子供が言う事をきかない。しかたなく、上の子と母親だけが列車に乗って下の子と父親は車で移動することになったようである。
日頃、めったに鉄道に乗ることがないからだろうと思った瞬間、ものすごく悲しい感じがこみ上げてきた。
賑やかなツアー客と一緒に列車に揺られて日置をめざす。
ふと、南吹上浜駅に停車中、窓の外を見たら、少し離れたところから年末に会った彼が撮影しているではないか。お互い「あっ!」と気が付いたときには列車はタイフォンを鳴らしエンジンが唸りをあげて発車してしまった。よかった、なんとか連絡がつき来ることができたのだ。今晩、ユースに泊まりに来ることを願った。
日置駅では、ユースのヘルパーや宿泊者たちが列車が到着するたびに旗やノボリをふって見送りや出迎えをしてくれている。
乗って来た列車は、しばらくするとツアー客を迎えに行くために薩摩湖に向けて回送されていった。
その後、当方も中3の彼も撮影するよりはユースの仲間と一緒に見送りや出迎えをやっている一行に加わった。
中3の彼が出発する時間が近づいてきた。
その前に、伊集院からの回送列車を場内信号機付近で撮影した。すぐさま駅に戻り上り列車を待つ。
入ってきたのはヘッドマークを付けたキハ302である。この列車が回送とはいえ日置〜伊集院間の最後の上り列車となる。
アイドリングしている車両のまわりでユースの連中とワイワイしていたら、突然、中3の彼が駅の事務室の方へ入っていった。
しばらくして出てきたら回送列車に乗せてもらう交渉が成立したとのこと。ただし、何があっても知らないと念を押されたそうである。
発車時刻になり最後の上り列車は、駅長の合図でタイフォンを鳴らしエンジンが唸りを上げて出発していった。
車中からは中3の彼が見えなくなるまで手を振ってくれた。駅に残った面々もそれに応えた。
ユースに帰ると年末に会った彼から宿泊の予約が入っており一安心した。彼は夕食前にユースに着き再会を喜び合った。夕食後は夜遅くまで他の宿泊者も加わって南薩線談義に花を咲かせた。
しかし、最後の日置発上り列車を見送った現実など最終日に向かって今まであたりまでだった事が終わりを告げていることにいよいよ来る時が来たということを感じずにはいられなかった。

 
左から、ユース宿泊者による列車の見送り、日置駅駅長の指差し確認


日置〜上日置間を走る回送列車


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