南薩線廃止の日

そして3月17日

ついにその日がやってきた。
この日がどうして今日なのか、明日でないのか。そう思っても時は確実に刻まれている。
天気は快晴である。
年末に会った彼は、限られた時間しかないとの思いからか朝食をとらずにユースを出発していった。
当方は、朝食をとり9時前の列車やバスで出発するホステラーを駅まで見送りに行ったりする以外はユースでブラブラしている。最後の日であるにもかかわらずなかなか撮影する気になれない。
そうこうしているうちにユースに連泊している連中とちょっとしたツアーをすることになり、薩摩湖まで行くことになった。
なんどもここのユースに来ている者でもバイクとかで来たりして一度も南薩線に乗ったことのない者でも今日が最後と聞くと記念に乗っておきたいと思うのだろう。
日置発10時半頃の列車で薩摩湖に向かうことになったので日置駅に向かう。日置駅は列車に乗る人のほか、元の人も大勢集まってきている。やはり最後を見にきているのだろう。
撮影している人のほか録音している人も何人かいる。
加世田から上ってきた列車の車両はキハ103とキハ106の二両編成である。乗り込んだ車内も混雑している。
運転士や車掌は、いつもとかわらず慌しく折り返しの準備をし、時間になると駅長の合図でタイフォンを鳴らしエンジンを唸らせて列車を発車させる。
外では、ユースのヘルパーらがギターを伴奏に「南薩線」の歌や「洛陽」「岬めぐり」の替え歌を歌って見送ってくれている。
定刻に薩摩湖駅に着き下車する。発車していく列車を見送り薩摩湖付近を次の上り列車まで間約1時間半、付近を散策することになった。
ツアー参加者数人と付近を散策していたら日置駅で録音していた同年代の者に声をかけられた。
その者は、横浜から来た同年代の者で、我々に「南薩線」の歌を録音したいので歌ってもらいたいと言ってきた。我々は薩摩湖の湖畔で無伴奏で「南薩線」の歌を歌った。
歌が終わり、しばらく立ち話をして彼と別れた。(結局、その晩、彼はユースに泊まりにきた。また、彼は、最近、JRの全駅に降りるという偉業を成し遂げ、そのことを本にして出版している。)
その後、伊作まで歩いて移動した。
伊作駅でも地元の人をはじめ多くの人が集まってきている。
12時20分頃の発車の列車に乗るため日置まで250円の切符を買い改札を通りホームに行き列車を待つ。列車が来るまで思い思いに駅名標の前で記念写真を撮影したりする。
タイフォンの音が聞こえ出し、続いてジョイントを刻む音も聞こえ出す。腕木式の場内信号機が下がりキハ103とキハ106の二両編成が駅に入ってきた。200mmの望遠を使って場内信号機の所とポイント付近を通過する所を撮影することができた。
車内にはいる。やはり混雑している。
薩摩湖、吹上浜、永吉、吉利と一駅ずついつものように停車しながら日置をめざす。
いつもと違うのは、各駅とも撮影している人がいることである。永吉の鉄橋のところでは大勢の人がカメラを向けていた。
20分ほどで日置に着く。ユースの仲間が歌を歌って出迎えてくれる。

 
伊作駅に入線するキハ103とキハ106



一旦ユースに戻り、16時前に加世田から上ってくる列車の時間まで休憩する。
15時半前にユースを出て日置駅に向かう。
昨日までであれば、伊集院からの回送列車があるのであるが、今日は、夕方の乗り入れ列車まで担当してくるのでこの時間には回送列車はこない。
駅には多くの人が集まっている。到着予定時刻であるが列車が来る気配がない。お名残乗車のお客が多いのか列車が遅れてきているようである。
しばらく待っていると聞きなれたタイフォンの音が聞こえ出した。駅のところでカーブして入っている列車をみていると、キハ100形の前面が見えた。ニ両目は側面に看板を付けたキハ100形であることがわかった。「今朝乗った編成だな」と思ってみているとまだ続いている。「名残を惜しむお客で混雑しているので増結したのかな。」と思うまもなく次の車両が見えた。なんと四両編成である。
しまった、ユースにカメラを置いてきてしまった。ダイヤ通りでもすぐ折り返す設定になっているのでカメラを取りに戻る時間はまったくない。考えている時間はない。一緒に駅にきていたヘルパーがカメラを持ってきていたので、なかば強引に貸してもらい、駅南方の畑の方へ走って移動した。
畑の中には何人かカメラを構えている。
しばらくして発車を合図するタイフォンが聞こえ四両編成の列車がゆっくりと現れてきた。
先頭からキハ301-キハ303-キハ106-キハ103の編成である。待ち受けと後追いで2カット撮影する事ができた。(この写真は後からプリントでもらった。)
近くで撮影していた人と少し話をした。さすがに四両編成は今まで見たことがなく圧巻であったなどお互い興奮してしまった。
駅に戻りヘルパーにカメラを返した。その時、ホステラーの何人かが地元の新聞社の取材を受けていた。日置駅で賑やかにしている集団は明らかに地元の者でないのは一目瞭然でありちょっとしたニュースになったのだろう。
この後は、いつもと同じく代行バスの時間であり、約2時間後の18時過ぎまで列車はこないのでユースに戻る。
ユースに戻ってしばらくしたら昨日帰って行った中3の彼から電話が入った。最終日の様子がきになるらしい。四両編成が走ったことを伝えた。電話の向うで驚いている様子が手にとるようにわかった。それと最終日まで滞在できなかった事をものすごく残念がっていた。
17時半過ぎに、今度はカメラを持って日置駅に向かった。
人がいることにいるが昼間ほど多くはない。日が落ちだし暗くなりかけてきた。18時20分頃入ってきた列車はオレンジ色のヘッドライトを点灯させたキハ303とキハ301の二両編成である。入駅してくるところ無理やり撮影した。
乗客もそれほど多くはない。人口の多い都市部と違ってお名残乗車をする人もこの時間には少なくなっているようである。
この列車は日置駅で40分ほど停車して19時前に加世田行きとして発車していくが、その時刻までいると暗くなってしまうしユースの夕食の時間にも間に合わなくなるので、列車が到着してしばらくしてから駅を後にした。


ライトを点灯させたキハ303



ユースでの食事をさっさと済まし、19時半頃に到着する加世田からの列車がくる前に駅に着くため、ペアレント、ホステラー、ヘルパー全員で日置駅に向かう。
鉄道以外できているホステラーは今ひとつ何のことかわからないようであるが、日置駅で最終列車を見送るのが今日のミーティングである。
日置駅に着く。地元の人をはじめすでにたくさんの人がいる。我々の一団はホームの中央に集まり、ギターを伴奏に「南薩線」の歌や「洛陽」「岬めぐり」の替え歌を繰り返し繰り返し歌う。
地元の人たちも「蛍の光」を歌いだし我々の集団も続くと共にギターの伴奏を添える。
しばらくして加世田からの最終列車がやってきた。いつもより多くタイフォンを鳴らしているように感じられた。そしていつもよりゆっくり日置駅に到着した。
列車は、キハ103とキハ106の二両編成である。
会社としてのお別れ式は、この列車の加世田出発時に行われている。この列車が折り返して出発するまので40分ほどの間が我々のお別れ式である。現業に従事している人以外に会社の人はいない。
ホームには溢れんばかりの人である。手作りのお別れ式である。
地元の人、ユースに泊まっている旅人、そして南薩線に惚れ込んだ人、皆それぞれ最期の時を体で実感している。
我々が賑やかにしていると、以前、ユースでヘルパーをしていて鹿児島交通の関連会社に就職した地区会長の息子さんが、この列車に乗ってきた。少し話しをしたが、個人的に取材をして最終列車で加世田までいきお別れをするという。個人的には残念だったとしきりに言っていた。
伊集院からの代行バスが着き乗換え客が改札を通って入ってくる。西鹿児島から伊集院まで最期の乗り入れ列車に乗って来た人もいるだろう。
しばらくして伊集院から回送されてきたキハ302が到着する。下りホームには入らないで、ポイントを転換し上りホームに停車している編成の後部に駅長の誘導で連結される。
連結作業時にショックで停車している車両が少し動く。エアホースの接続が終わり運転士が制動試験を行うとエンジンのアイドリング音に加えてエアーの「プシュ〜」といった音が付近に響く。
改札の方で「加世田行き最終列車が出発します」と言っている駅長の声が聞こえた。
駅長は最期の乗客を列車に乗り込ませると「終了」と声を出し、運転士に出発の合図を送った。
ホームにいる人の歌声は皆「蛍の光」にかわっていた。
いつもより長いタイフォンを鳴らしエンジンが唸りを上げて三両編成の南薩線最終列車はゆっくりゆっくりと動き出した。
ホームからは「さようなら」「ありがとう」「おせわにありました」の声が響いた。
テールライトが見えなくなるまで、ジョイント音が聞こえなくなるまで、タイフォンの音が聞こえなくなるまで我々は最終列車を見送った。
駅長は、列車が無事に日置駅を出発した事を閉そく電話で伊作駅にいつものように伝えた。
しばらくすると地元の人もいなくなり一部のホステラーと鉄道ファンだけが駅に残り静けさが戻った。
駅長は鉄道ファンの求めに応じて入場券や乗る列車のない切符の販売をしている。
年末に会った彼は、最期の様子を録音していた。それも終わり、有志で買った焼酎「薩摩こづる」を駅長のところに持っていって、今までお世話になったお礼と労をねぎらった。お互い涙が溢れて言葉にならなかった。
年末に会った彼は、ユースには泊まらず、急行「かいもん」に乗って帰路につくというので日置駅で別れた。
ホステラーやヘルパーの有志は、ユースの別室である海の家に泊まり深夜まで焼酎を飲み交わし南薩線の思い出話につかった。
こうして、南薩線最期の日、1984年3月17日の一日が終った。
ありがとう「南薩線」、我々は忘れない。そして、後世に伝えていく。いつまでもいつまでも「南薩線」のことを。


日置駅で別れを惜しむ


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